朴念仁の戯言

弁膜症を経て

沈黙を破る

「コルタン(タンタル)」という名を最近知った。
ICT産業が世界を席巻するようになって、この鉱物資源の需要が増し、これが産出国の紛争とおぞましい性暴力を招く結果になったことも。
世界で使用されるコルタンの約80%がコンゴ民主共和国のものだという。
コルタンは携帯電話、パソコン、ゲーム機など身近にある電化製品の部品の一部に使われている。
となれば、世界中の多くの人間が、無知のままに、間接的に異国の性暴力犯罪に加担していたことになる。
このことを、一昨年、ノーベル平和賞を受賞した婦人科医デニ・ムクウェゲ氏の演説で知った。

ムクウェゲ氏は2012年、コンゴの現状を国連で演説した。
自国の保健大臣から「国連でスピーチしたらあなたの命が危険になる」との忠告(脅し)に屈することなく。
ムクウェゲ氏にとって「沈黙」は最早許されないことだった。
治療した女性が再びレイプされ、その産まれた子もレイプされ、そして、その孫までがレイプされて病院に運ばれて来たのを目の当たりにしてからは。
演説して帰国すると、大臣の言葉通りに銃を持った男たちが家の前で待ち構えていた。
長年寝食を共にしてきた警備員が、咄嗟の判断でムクウェゲ氏の前に体を投げ出し、頭と背中を撃たれた。
ムクウェゲ氏は警備員と一緒になって床に倒れ、誰の血かも分からぬほど血まみれになった。
自分も撃たれたと思った。
銃で襲われ、人ひとり亡くなったというのに警察は全く捜査をしなかった。
止む無く、自分の命を守るため出国を決断した。

コルタンは、レアメタル(希少鉱物)とも言われる故に紛争の火種になっている。
砂糖に群がる蟻のように、金亡者どもがコルタンの産出地に群がり、その地域を破壊する。
そのやり口、戦略は残忍極まりない。
武器となるのは、地域の基盤である女性たちを破壊し、家族を破壊し、共同体の破壊を目的とするレイプ。
武装勢力によって公衆の面前で集団的に性暴力が行われる。
被害者の女性たちは共同体を追われ、家族を守れぬ男たちは恥じて村を去り、名も知られずひっそりと暮らせる場所を探す。
村から人がいなくなる。
そこに武装勢力が入り込み、土地を支配し、コンゴ東部の天然資源を独占していく。
レイプの被害女性に年齢の差はない。
内臓が完全に破壊された状態で運ばれて来た生後6カ月の乳児。
高齢者では80歳の女性も。
性器の中で銃を発砲したり、性器にやけどを負わせたり、ガラス片や異物を性器に挿入したりする暴力。
女性の体の上で起きている戦争、経済戦争。
スマホなど使っている世界中の誰もが、これらコンゴの惨状と繋がっている。
特にコルタンを需要・供給する企業には倫理上の責任が問われている。

「無知は時に悪を招く」
これでブログを締め括ろうとしたが、「無知」をネットで検索すると次の偉人の名言にあたった。

「無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つものは英雄なり」
古代ギリシャの哲学者ソクラテス

以下、ムクウェゲ氏の声を紹介して終わりたい。
世界中のコルタンの約80%がコンゴにあるから、あなたのポケットには「小さなコンゴの一部」が入っている。

どうしたらスマホをクリーンなものにできるかという問題なのだ。
メーカーに対してスマホに使われる鉱物がどの鉱山で産出されたものか、正確に把握するという働きかけもできるだろう。
汚いビジネスをやめるため企業が責任を負うことは可能なのだ。
スマホを10%値上げして作ることも可能。
高く買ってでも確かなものを買うことを望む。
安いスマホを選ぶことが人間を破壊することになると知っているから、私たちは消費者として発言する責任がある。
重要なことは誰も知らなかったでは済まされないということ。
「自分の問題ではない」と済ませてしまうこと。
それが「無関心」ということ。
「無関心」は常に悪い結果を生む。
他者への「無関心」は、私たちの人間性に大きな傷を与えるから。
世界中の人々は皆同じ「人間性」を共有している。
私たちは互いに支え合う責任もある。

アフリカには「ウブントゥ」という言葉がある。
それは「あなたがいるから私も存在できる」という言葉。
生きる使命と、自分のことのみ限定してしまうと人生は狭くなる。
自分は周りの人々のためにいると考える。
そうすれば行動範囲は無限に広がっていく。

女性たちは果物や野菜を売って私の飛行機代のために毎週金曜日に50ドルずつ集める活動を始めた。
自分たちは一日1ドルにも満たない生活をしているのに。
それを知り、私は強く勇気づけられた。
女性たちの人を生かす力に。
今では国連保護下で病院の中で暮らしている。

「沈黙を破ることが性暴力に対する絶対的な武器になる」

「有害な男らしさ」から「有益な男らしさ」へ。
男女は平等で同じ人間性を共有している。

被害女性には「自分自身との和解」「憎しみを持ち続けない」と伝えたい。
それができないと敵だけでなく、自分自身も破壊してしまう。

自分と同じような人間としての痛みや感情を相手は持ってないと思うようになった瞬間に、やり方はどうあれ、始まるのが戦争だと思う。

他者の気持になって考え、感じ取ることできる力。それが平和ということ。

人類史上、現在ほど人々が互いを必要としている時代はないと思う。
しかし、今世紀前半、これまで苦労して獲得してきた人間社会の進歩に逆行し、ナショナリズムポピュリズムが再び台頭している。
他者の恐怖心をあおり、無知や無関心を増大させ、非民主主義的な計画を推し進めようとするポピュリスト。
我々はそれを止める壁にならなければいけない