朴念仁の戯言

弁膜症を経て

今この瞬間を共に生きる

一昨日から二日間、陋屋の庭の雪囲いに追われ、昨日の夕方にようやく終えた。
後片付けをしながら夕陽が沈んだ先の山並みの稜線に目を向けると、初冬の大気は橙色から瑠璃色の濃淡へと鮮やかな変化を見せ、その先を目で追っていくと、澄み渡る瑠璃色の天空には星々が早くも見え始めていた。
自然の色彩の鮮やかさに思わずため息が漏れた。
同時に、何故か息苦しいほどの寂寥感に包まれ、切なさで涙があふれ出そうになった。
夕陽の名残をそのまま見続けることはできなかった。

今朝の朝刊に老人ホームで介助の仕事をしている劇団主宰の菅原直樹さんの連載記事が載っていた。
「朝の老人ホーム、僕はおじいさんの介助をしていた。介助が終わり、部屋のカーテンを開けた。雲一つない青空が広がっていた。「いい天気ですね」と声をかけると、おじいさんは突然泣き出した。僕は驚いた。しかし、おじいさんと青空を眺めているうちに、だんだんと僕も泣けてきた。80年間いろいろあった。また新しい一日が始まる。まるで、そのことを祝っているかのような青空だ」

これを聞いた看護師は、脳梗塞の後遺症の一つ「感情失禁」と言ったそうだ。
ちょっとした刺激で感情があふれ出す症状。
菅原さんは言う。
「あの感動を「感情失禁」という一言で片づけてしまっていいのか、いや、あの瞬間にこそ介護の希望があったのではないか」と。

昨日、私が寂寥感を覚えたのは感情失禁の一種ではないかと思っている。
夕陽の名残の橙色と瑠璃色の空から感受したのは、菅原さんが感じた希望とは反対側の「生のはかなさ」だった。

感受したものは違っても、だからこそ今この瞬間を共に、共に、私は生きる。