朴念仁の戯言

弁膜症を経て

二人の患者

また厄介な病を抱えてしまい、総合病院の消化器科に通う羽目になった。

診察予約の日、待合室に向かうと、外科室から出てきたばかりの男と移動用ベッドに横たわった婦人が目に入った。
もう一人、看護師のような病院服を着た、ずんぐりむっくりの婦人の姿もあった。
男は高校時分の友人Hだった。
Hの背中越しに手を回し、Hの左腕に触れて声を掛けた。
振り返ったHは驚きの顔を示し、「おっ」と声を上げた。

「よお、おふくろさんの診察か」
「ああ、半年に一遍の定期検査だ」
「立ち会いか。顔艶も良さそうじゃねえか」
「ああ、前は俺が顔を見せても反応しなかったが、最近じゃ俺のこと分かるようになった」
「そちらさんは?」
「施設の職員さん。付き添ってくれるから安心だ」
会話を聞いていたずんぐりむっくりの婦人が頭を少し下げた。
「おめえは何でここに」
安倍晋三と同じ病になっちまってな。定期診察だ」
「ストイックな生活してっからだ」
「ああ、寿命だよ」

寿命? 何とも頓珍漢なことを言ったもんだ。
死を目前にしての言葉じゃねえか。
知ってか知らずか、常に死が意識化されてるってぇことか。

Hは、横たわった母親にしばらく付き添っていたが、母親と施設の職員をその場に残していつの間にかいなくなっていた。

診察を終え、待合室でカルテが戻るのを待っていると左側から声が掛かった。
「今日はどうしたの」
振り向いて声の主を見たが、一瞬誰か分からなかった。
ややあって仕事で付き合いのある陶芸職人のM氏と認めた。
M氏の顔は、おたふく風邪に罹った子どものように膨らみ、以前の精悍な面構えは見る影もなかった。
「あれ、Mさんも診察ですか」
「いやー、胃にポリープができてしまって今度手術しなければならなくなって。今日は3件も回ったから疲れたよ」
「そうですか」
それ以外に言う言葉が見つからなかった。
看護師が私の名を呼ぶのが聞こえた。
「今度事務所に遊びに行ってみるよ」
M氏はそう言って立ち上がり、笑顔を見せた。
それまで気付かなかったが、M氏の脇には奥さんが慎ましげに控えていた。
「是非遊びに来てください。お大事にしてください」
カルテを手に放心気味に二人を見送った。

M氏は数年前に肺がんと診断され、県内の有名な総合病院で陽子線治療を受けた。
それ以来、遅きに失したがチェーンスモーカーだったM氏はタバコを止め、飲めば午前様だった酒も止め、治療に専念した。
が、薬の副作用で顔や腹は膨らみ、人前に出るのを避けるようになった。

この日の二人の患者は何を伝えようとしていたのか、と、ふと考えた。
どうやら些細な出来事に何かしらの意義付けをして、自分に都合良い気付きを得ようとしていたらしい。

嫌みな野郎だ、てめえは。

そうか、これか、伝えたかったことは。