朴念仁の戯言

弁膜症を経て

「夜と霧」出版社の序

1931年の日本の満州侵略に始まる現代史の潮流を省みるとき、人間であることを恥じずにはおれないような二つの出来事の印象が強烈である。
それは戦争との関連において起った事件ではあるが、戦争そのものにおいてではなく、むしろ国家の内政と国民性とにより深いつながりがあると思われる。
さらに根本的には人間性の本質についての深刻な反省を強いるものである。

第一には1937年に起った南京事件であって、これは日本の軍隊が南京占領後、無辜(むこ)の市民に対して掠奪・放火・拷問・強姦などの結果、約20万人と推定される殺人を行った。
これは当時の目撃者や医師・教授・牧師たちによる国際委員会によって報告書が作製されており、さらに極東国際軍事裁判においても広汎(こうはん)に資料が蒐集(しゅうしゅう)されたが、手近(てぢか)には林語堂(りんごどう)「嵐の中の木の葉」やエドガー・スノー「アジアの戦争」などの中にもヴィヴィッドに描写されている。

第二には1940年より1945年に至るナチズム哲学の具体的表現ともいうべき強制収容所の組織的集団虐殺である。
これは原始的衝動とか一時性の興奮によるものでなく、むしろ冷静慎重な計算に基づく組織・能率・計画がナチズムの国家権力の手足となって、その悪魔的な非人間性をいかんなく発揮した。
「近代的マスプロ工業が、人間を垂直に歩く動物から1㎏の灰にしてしまう事業に動員された。」(スノー)
アウシュヴィッツ収容所だけで、300万人の人命が絶たれ、総計すれば600万人に達するといわれる。

いまだ人類の歴史において、かくの如き悪の組織化は存在しなかった。
その規模においてかくも周到厖大な結末を示したものはなかった。
かくてこれは、人類史において劃期(かっき)的な事件として永久に人間の記憶に残るであろうことは疑えない。

ここに読者に提供するのは、自らユダヤ人としてアウシュヴィッツ収容所に囚われ、奇蹟的に生還しえたフランクル教授の「強制収容所における一心理学者の体験」であるが、これは著者も自ら言われる通り限界状況における人間の姿を理解しようとするもので、その深い人間知から滲み出る叙述の調子の高さは、現実の悲惨を救うせめてものよすがであろう。
しかし我が国の読者のためには、強制収容所についての一般的記述で客観的なものが予備的に望ましく思われたので、解説および写真によってこれを補うことにした。
おそらく読むに巻を措き、見るに耐えないページもあることだろう。

我々がこの編集に当って痛切だったのは、かかる悲惨を知る必要があるのだろうか? という問いである。
しかし事態の客観的理解への要請が、これに答えた。
自己反省を持つ人にあっては「知ることは超えることである」ということを信じたい。
そして、ふたたびかかる悲劇への道を、我々の日常の政治的決意の表現によって、閉ざさねばならないと思う。

  1956年8月
                       出版社(みすず書房