朴念仁の戯言

弁膜症を経て

「大人とは話さない」

小学生が障害者家庭背負う

呼び鈴を鳴らして家に入ると、刃物を持った少年が大声を上げて襲いかかってきた。
「大人とは話さない。全員死ね!」
今から数年前、学習支援で中通りの家を訪問した支援団体の女性担当者は、当時、小学生だった和也=仮名=との出会いを鮮明に覚えている。
和也の家は生活保護世帯だった。両親は離婚し、母と2歳年上の兄と3人暮らし。母と兄には知的障害があった。
障害者手帳があれば福祉サービスを受けられる。行政から取得を促されたが、理解力に乏しい母はそれに応じず、地域から孤立していった。担当者は、母と行政の間で信頼関係が構築されていなかったと感じている。母は仕事が長続きせず、収入も少ない。生活は不安定だった。
「おまえがしっかりしないと家庭は崩壊してしまうんだよ」
周囲の大人は和也に言い続けた。和也はその期待に応えようと家事を頑張ったがうまくいかなかった。テーブルにはカップ麺やコンビニ弁当の空容器が散乱、家中にごみがあふれた。和也は精神的に追い込まれ、大人への不信感が募っていった。担当者が出会ったころは、そんな状態だった。
この団体は貧困家庭に家庭訪問して子どもたちに学習支援を行っている。担当者が和也と出会って数年がたつ。今では笑って話せるが、担当者は「学習支援どころではなかった」と振り返る。
ある大雪の日、母は子どもを買い物に連れ出した。こたつを付けたまま出掛け、そこに寝ていた子どもが脱水症状になったこともあった。
児童虐待だ」。周囲から児童相談所に通報された。母と子どもを引き離す「母子分離」での介入が始まろうとすると、母も兄も和也も泣きじゃくった。
「子どもが連れていかれる」「お母さんと離れたくない」
息子たちを愛する母は懸命に子育てを頑張り、息子たちもその母を大好きだった。担当者は、母子分離より家庭環境を整えることが大事だと感じた。
その後、母と兄の障害者手帳の取得に向けて行政と話し合いが持たれ、時間はかかったが取得できた。
和也とはゲームで遊び、そばに寄り添い、話し相手になった。学習支援の枠を超えていたが、現場ではそれが必要だった。
「自分がしっかりしなくちゃいけないんだ。でもこんな汚い家、友達も呼べないじゃん」
涙で訴える和也に担当者は答えた。
「よく頑張ってきたね、和也。家をきれいにしてくれる人もいるんだよ。一緒に掃除しよっか。もう、一人で頑張る必要ないよ」
家庭は変わりつつあった。でも、一生そばにいられるわけではない。家族の孤立を防ぐ地域の仕組みが必要だった。
しかし、そこには新たな壁が待っていた。

※平成29年1月12日地元紙掲載「子どもに未来を」より