朴念仁の戯言

弁膜症を経て

人生は学び

私が大切にしている言葉の一つに、「我以外、皆師なり」があり、宮本武蔵が用いたと言われています。

私の父は、陸軍では高い地位にまでのぼり、2・26事件で殺されましたが、その学歴は小学校の4年でしかありませんでした。
それ以降は、養子にもらわれた家が貧しかったため、学校に通わせてもらえず、行商をしながら、友人から借りた中学校の教科書を暗記したそうです。
当時、授業料の要らない学校は陸軍士官学校しかなかったので、そこで受験して合格、さらに陸軍大学校に入り、首席で卒業し、恩賜の軍刀を頂いています。

要職に就いてからも、月給の半分は本屋の支払いに消えたと言われるほどの読書家だったそうです。
父にとっての一生は「学び」の一生だったと言えるでしょう。

父の死後、母は3人の子どもたちに、父がこのような努力家であったことを語り聞かせ、父の名を辱めることのないように努力の大切さを強調しました。
「一生は勉強の連続であり、何からでも習うことはあるものだ」と口ぐせのように言っておりました。

このようにしつけられた私が、たまたま教育にたずさわるようになって50数年経ちます。
父母の訓えに基づき、私は〝教え子〟という言葉を使いません。
〝私の卒業生〟と言います。
なぜなら、私の一生は学びの一生であり、学生に求めることは、まず、私が実践していなければ教師として失格だからです。

失敗、挫折も学びのチャンスです。
「人の振り見て、我が振り直せ」といった母の教えも、心に刻まれています。

森羅万象、すべての物事、人からも、学ぶものがあるという謙虚さを持ち続けたいと思います。

※シスター渡辺和子さん(平成27年4月8日心のともしび「心の糧」より)