朴念仁の戯言

弁膜症を経て

母の記憶

「あれまあ、しろ、こんな所につながれて」
洗濯物を干しに裏庭に出た母が、日ざしを避けて居場所を木陰に移された犬に話しかけている。
近年、痴呆症のすすんだ母は、庭に出ると大きな声で犬に語りかけるようになった。

母が家内に寺の坊守の役目を譲ってからもう10年以上になるが、長年の習慣からか、どうかすると自分が今でも家事をすべてこなしているものと思い込んでいることがよくある。
しかし、母の記憶にある家事の仕方は、新築ですっかり変化した今の環境にはまったく通用しない。
家内が家事の仕方や器具の使用法を教えてもすぐに忘れ、自分勝手にとんでもないことをしでかしてはわが家にたびたび混乱を引き起こす。
私も家内も母に注意することが無駄であり、かえって良くない結果を招くとは知りつつ、つい強く咎めてしまう。
我々は、母が新たなことを記憶する能力を失っているものと思い込んでいた。

ある朝、娘が私の渡した本を開いて目を通そうとしたとき、母が突然、「典ちゃん、それ読んでしまったら、おばあちゃんに見せて」と言った。
驚く娘に母はしっかりとした口調で、「その本のことがこの間の新聞に出ていた」と言った。

母の言う書評欄は私の心にも残っていた。それは「癒されぬ病」にくじけぬ、著者自身の強い生き方を述べたものであった。 

大谷大学名誉教授の小谷信千代さん(大谷大HP「今という時間」から)