朴念仁の戯言

弁膜症を経て

「そうかもしれない」

保健所の植え込みの中で震えて鳴いていた「しろ」を拾ってきてからもう11年になる。

その頃私は気分の落ち込むことの多い日々を送っていた。
高校と中学に通っていた息子と娘が、自分たちの生活に意味を見いだせず、生きてゆく気力を失いかけているように見えることが、私の心を重くしていた。
その上、私は健康も害していた。
八方ふさがりの思いのする日がよくあった。

その犬は家に連れて帰ってきても震えが止まらなかった。
手放すと物かげに隠れてしまって出てこようとしなかった。
彼の原因不明のおびえは容易になおらず、道に連れ出すと座りこんで動こうとしなかった。
成犬になっても、散歩のつど自転車の買い物かごに載せて、ひと気のない近くの山に連れて行かねばならなかった。
やっかいなものをもう一つ抱え込んでしまったように思われた。

そのようにして一年半ほど過ぎた頃、自転車におびえつつもようやく普通に道が歩けるようになった。
今では、まともな犬に育てることをあきらめかけていたことが嘘のように思われる。

私は散歩の折に「しろ、いろいろあるよな。でも、ぼちぼちやればなんとかなるもんだよな」と時々語りかける。
彼はちらっと振り返るが、私の思いなぞどこ吹く風といった顔で道端の臭いをかぐ。
草に向かって用を足している彼を待ちつつ、一瞬不思議な安堵感を覚える。
私が彼に育てられたのかもしれない。

大谷大学名誉教授の小谷信千代さん(大谷大HP「今という時間」から)