朴念仁の戯言

弁膜症を経て

一致を願う

柴生田稔(しぼうたみのる)という近代歌人の詠んだ歌です。

今日しみじみ語りて妻と一致する

夫婦はついに他人ということ

時間をかけて、しみじみ妻と語り合った結果、一致に到達した。その結論は、夫と妻は夫婦であるが、お互いに〝他人〟であることを忘れてはいけないということだった、というのです。

私は今、数人のシスター達と修道院で共同生活を送っています。同じ修道会に属し、修道院も同じなら、その何人かとは職場も同じです。だから一致していないといけないのですが、私は、お互いはやはり〝他人〟なのだという意識を忘れてはいけない、と思っています。

主義主張の違いから来る国と国との争い、同じ国の中での民族間の争いは、世界平和という言葉をよそに、ひっきりなしに地球上で起きています。宗教間の争いも、利益がからむ争いも絶え間ありません。

「夫婦はついに他人ということ」という認識、それは、「わかりっこないよ」という捨て鉢な思いではなく、人間一人ひとりは、別人格であり、互いに理解し尽くすことは不可能だという淋しさを伴ったものであり、そこから生まれる優しさと、許しを求めているのではないでしょうか。

一致を願うという言葉はきれいです。しかし言葉だけに終わっては、いけないのではないでしょうか。一致するためには、譲り合いも必要なら、主張する勇気、相手を理解しようという寛容さも必要です。

私たちは今日、自分の生活の中で、この「一致」を実現するために努力しているかが、一人ひとりに問われているのではないでしょうか。

※シスター渡辺和子さん(心のともしび 平成26年10月10日心の糧より)