朴念仁の戯言

弁膜症を経て

現代の「ひじり人」たち

おくりびと」という言葉が流行語のように使われている。青木新門さんの「納棺夫日記」が発端だった。「納棺夫」とは死者の体をきれいに拭って、お棺に納める人のことだ。青木さんは長い間、その仕事に携わっていた。本を読んで青木さんと交流を持った本木雅弘さんが主演した映画「おくりびと」は国内でヒットしただけでなく、昨年アメリカでアカデミー賞外国語映画賞をとってしまったのである。
同じころ、天童荒太さんの「悼む人」が直木賞をとり、ベストセラーになった。主人公の純朴な青年があるとき思い立ち、事故などで死んだ見知らぬ人のために現場まで足を運んで、きわめて個人的な追悼の儀式をひとりで行う。新聞の死亡記事などを読んで全国各地を訪ね歩く物語だ。
おくりびと」や「悼む人」が話題になったころではないだろうか。教え子のひとりが虚をつくような情報をもたらしてくれた。「遺品整理業」なる仕事が引っ張りだこになっているという話である。孤独死や自殺など、誰にも看取られることなく、ひっそりと死んでいく人が増えたため、亡くなった現場に行って遺品を整理し、清掃するのだという。短期のアルバイトをしてきたといって報告してくれた彼は、ほとんどの場合、ありとあらゆるモノがごみのようにうずたかく積まれ、足の踏み場もないほどだった、と嘆いていた。
それを聞いた私は、思わず自分の身辺を見回して不安に陥った。いつのまにか新旧の雑誌や書類、そして本にとり囲まれ、身動きもままならない状態になっている自分を発見したからだった。
実はそのことには随分前から気がついていて、そのつど処分してきたのであるが、いつのまにか、またたまってしまっている。最後はごみになった本や書類に取り巻かれてこの世を去るのかと、いても立ってもいられない気持ちになったのである。それで気分が滅入っているとき、たまたま見ていた民放のテレビ局で「遺品整理人」を主人公にしたドラマを放送すると知った。
ああ、時はまさに死に支度の時代、との思いが喉元を突き上げるように迫ってきた。死に支度とは、平穏のうち自分自身を〝始末〟するということ、つまり他人を看取るように、いかにして自分自身を看取るか、ということではないか。そんな覚悟がお前にあるのか、という声が聞こえてこないではないが、さりとて耳を覆って遁走(とんそう)することもかなわない。
そんなことで思い惑っているときだった。オレは「糞土師(ふんどし)」だと名乗っている人を全国紙の記事で知って、私は目をむいた。伊沢正名さんという写真家の方で、「信念の野ぐそ」を始めて36年が経つのだという。さらに野外で毎日行う〝連続記録〟は今年で10年というのだから凄い人である。
きっかけは地元・茨木で起きた、し尿処理施設の建設に対する住民の反対運動だった。自分の排せつ物なのに、遠い見えないところで処理してほしいという身勝手さに気づき、「せめて自分のものには責任を持とう」と思い立った。庭や裏山で穴を掘って行い、埋め戻す。排せつ後は葉っぱでふく。自然の循環にみずからを組み込もうというわけだ。
伊沢さんはキノコなど菌類が専門の写真家で、「キノコの生き方」にほれ込んだ。動植物の死骸にひっそりと生を受ける。死や腐敗こそが命を次につないでいると教えてくれたのだという。
私は脱帽してこうべを垂れるしかなかった。半世紀近く前、ネパールの山中で野雪隠(のぜっちん)(野ぐそ)を試みるほかなくなったときだ。いくらいきんでみても「大」はついに顔を出してくれなかったのである。あれは、大地との循環を受け入れることのできなくなった私のような人間に対する、何とも皮肉な痛棒だったのだろう。
おくりびと」から「悼む人」まで、また「遺品整理人」から「糞土師」にいたるまで、われわれ社会は今、われわれのためにもっとも根源的な仕事を提供し始めているように見える。かつての阿弥陀聖や高野聖たちのように、彼らは現代の「ひじり人」たちなのかもしれない。

宗教学者山折哲雄さん(平成24年9月17日地元紙掲載)