朴念仁の戯言

弁膜症を経て

新たなスタート №30

2008(平成20)年、私は人生最大の冒険に出た。アメリカ大陸横断だった。
21歳の時から、長い闘病生活を送り、多くの人々のおかげで元気になった。ところが元気になってみると、もう「老い」を考えなければならない年齢になっていた。
これからどのように生きていったらいいのか。そんな折、心と体の限界に挑んでみようと誘われて、その気になった。すぐにその気になるのは、心が年相応に成熟していない証拠だと思う。はるかかなたに忘れてきた青春への心のこりもあったかもしれない。
旅仲間4人、レンタカーでサンフランシスコからニューヨークまで、15日間をかけて走り抜いた。旅は無事に終わった。
帰国後のある日、お風呂場で転んだ。胸を強く打った。体の中でドラが鳴ったようだった。肋骨が折れたと思った。
知り合いの女医さんの紹介で、すぐに病院に行った。私の胸をひと目診た先生が、言葉を濁された。肋骨どころではなかった。
「がんですか。私は家族がいないので、隠さずに話してください」。先生はうなずかれた。がんだった。それも決して早期ではないがんだった。21歳から病気をしてきてがんまでやるのかと、全身の力が抜けた。まさかこの上、がんまではなるはずがないと、がん検診を受けたことがなかった。
人は誰しも、この世に生まれ、いつかは死んでゆく。しかし、それは漠然とした「いつか」だった。がんの告知は、その「いつか」が「さぁ、いよいよ、ですよ」と告げられたような衝撃だった。
がんに一つ、救いがあるとすれば、今すぐには死なないということかもしれない。残された限りある命を、どう生きてゆくか。どう締めくくるか。自分なりに考え、覚悟を決める時間だけは残されている。それが、せめてもの救いといえば、救いかもしれない。
福島医大での手術は無事に成功した。1年3カ月に及ぶ抗がん剤治療と、分子標的治療とかいう化学療法も、この春に終わった。
再発への不安はあるが、これからは主治医の先生の指示に従って、残された日々を大事に、楽しいことを考え、会いたい人と会い、食べたいものを少しだけ食べ、好きなことをして生きてゆきたい。
先のことは分からないが、この体で、この年まで生かしていただいたのだ。感謝でいっぱいである。「最期は苦しまずに」、と未練がましく思いはするが、あるがままに、静かに、人生最後の、新たなスタートである。

※エッセイストの大石邦子さん(平成22年9月17日地元紙掲載)