朴念仁の戯言

弁膜症を経て

動物愛にあふれた情熱の人

世界的なフラメンコダンサーで本県出身の長嶺ヤス子。私は彼女を「やっこ」と呼び、家族も仲良くさせてもらっているが、個性的な人といって彼女の右に出る者はいない。本人には誠に悪いが、普段の生活では理解不能な人間。やっこは私より2歳ぐらい下、ほぼ同年代だが、よく分からない女、変わった女であるのは確かだ。
ところが彼女の舞台をひと目見てしまうと、いやが応でも彼女の世界に引きずり込まれる。「だまされた」「しまった」「やられた」。フラメンコという芸術に込められた情熱が爆発し、荒れ狂う。圧倒され、言葉を奪われる。年齢を感じさせない肉体と情念に、彼女の日々の努力を思う。「ああ、おれはこいつほど努力していないな」と。
やっこは何匹も猫を飼っていることで知られるが、それには理由があった。ある時、自分の車で猫をひいてしまい、以来、供養のため野良猫を拾ってきては飼うようになったのだという。
ある時、一緒の車で移動していると、別の車がひいた猫の死体が道路に横たわっていた。内臓が散らばって、無残な姿だ。「止めて」。やっこは突然車から降り、猫の死骸を手でかき集め始めた。見ている私たちはただ呆然としていた。そこまでする人間がいるのか―。
今から30年以上前、まだ都内に自宅があった時、わが家では犬を飼い、家族で可愛がっていた。ところが病気になってしまい、獣医師から「がん」を宣告された。ニューヨークのカーネギーホールの舞台出演で渡米する前々日、やっこが電話をくれた。「いいお医者さんがいるから紹介してあげる」。住所を聞き、妻が犬を連れて行った。獣医は「一晩お預かりして様子を見ましょう」と言う。妻はその言葉に従って帰路に就いたが、自宅に着くか着かないかのうちに急変の知らせが入った。
獣医はその間、「リンパ管を破って液が漏れている。液を抜けば呼吸が楽になるだろう」とリンパ液を抜く処置をしたという。ところが、処置後も具合が悪い。妻が帰って犬も寂しがったようだ。妻は慌てて獣医のところへUターンし、タクシーで連れ帰ったが、その車中で容体が急変。そのまま死んでしまった。
「明日のことがあるから来なくてもいい」と言うのに、やっこは青くなってすっ飛んできた。それから、わが家の居間はすごい状態になった。
「龍ちゃんが死んじゃった」と泣く中学生の娘たち。その隣でやっこも声を上げて泣きわめく。犬を助けられなかったという自責の念。子どもとやっこの泣き声と「お通夜だから」とやっこがたてた線香のにおい…。いつの間に、どうやって準備したのか、立派な犬用の棺おけも届いた。翌日、やっこは泣きはらした目でNYに旅立っていった。今も自宅に犬の写真を飾ってくれているという。
昨年末、家族でやっこの舞台に駆け付けた。日本舞踊をやっている娘が言う。「お父さん、私、ヤス子さんを見ていると涙が出てしまう」。そうか、お前もそれが分かるようになったのか。それがヤス子の舞台なんだ。ヤス子の世界なんだ。
日本画家、日展評議員の室井東志生さん(平成22年3月20日地元紙掲載)