朴念仁の戯言

弁膜症を経て

不食という生き方⑥

家族には、思うほど深いつながりはない

家族や血縁にこだわる必要もありません。
私たちの本質が、元はたった一つの魂であることが理解できれば、この意味がすぐわかると思います。
もちろん親から生まれる以上、その人物のDNAを受け継いでいることは否定しませんが、それは単に肉体的な性質の継承です。
肉体はこの世で暮らす上での便利な「鎧(道具)」であり、その材料を分けてもらったということです。
だから、ここが似ているとか、ここが似てないとか、そういう比較なんてどうでもいいこと。血縁にこだわる気持ちは理解しますが、そのこだわりを超えたところに私たちの進化があります。
「近すぎても遠すぎても、いざこざが起きてしまう」
それが家族であり、家族という関係は、私たちがこの世で経験する「たくさんある学び」の一つです。
誤解されるような言い方かもしれませんが、私たちが考えているほど、家族(肉体面での継承のある人同士)には、深いつながりはありません。
私たちは何度もこの世に転生していますが、どこかの生で船に一緒に乗り合わせた人々、イメージとしてはこれが今の家族です。
だからと言って、家族を粗末にしていいわけではありません。
せっかく乗り合わせた仲間ですから、できるだけ素敵な思い出を作りましょう。そのときに必要なのが「依存せず、拒絶せず、適度に関わる」姿勢です。
親だから、子どもだからという上下関係も、魂レベルには存在しません。
大人以上の態度・対応がとれる子どもがいますが、何度も転生している古い魂が入っているわけですから、別に不思議なことではありません。
かつて子どもに厳しく接したとき「どうしてそんなこと言うの」と悲しい目で見られたことがあります。そのとき私は気づきました。
成長のプロセスは、親が押しつけるものではなかったのです。
子ども自身が持って生まれた性質に基づいて成長する、それが「魂の学びルール」だと知り、深く反省しました。
親は何かと周囲と比べがちですが、その子には個性があります。その子なりの学びの時間があり、独自の選択権があります。
対話は必要ですが、強制は不要です。あなたのために生まれたわけじゃない、そんな子供の叫びは正しいのです。
親の役目は見守ること。親という漢字は木の上に立ってみると書きます。おたがいの学びを尊重しましょう。
※弁護士・医学博士の秋山佳胤さん