朴念仁の戯言

弁膜症を経て

若いころ下向いてた

老いの哲学⑧ 俳人宇多喜代子(うだきよこ)さんが語る

 

私が直接、俳句習った桂信子いう人に「一本の白髪おそろし冬の鵙(もず)」いう句があるけど、老いは不意打ちに来ますわね。じわじわ来るようである日、突然。こないだも私の後ろ姿を写真に撮った人がおってそれ見たらまあ、完全におばさんだね。後ろなんて見えないじゃない。「前」は張り切ってやってるつもりでも。もう頑張らないのがいい。逆らう必要ない。

まあ俳句いうのは年寄りも受け入れられる文芸だから、よろしいよ。若いときは「老人の趣味」と言われるのがものすごい嫌だったけどね、明らかにボケ防止にいいと思うようになったわ。適当な頭脳労働でしょ。人と接するでしょ。それと季節とか動植物とか、動くもんに関心を持つでしょ。老人生理学にいいわけ。

今は天体がおもしろい。雲なんかね、一日見てても飽きないね。月の形で今日は何月何日か、だいたい分かるようになったし。若いころは下ばかり向いてたなあと思って。なんか小理屈こねてやっとったけど。エネルギーがなくなるからね、思考の。それもあんまり無理せん方がいい。

かつてこぶしを振り上げて「文学」やってた同輩たちが、今もって同じスタイルで、若い者に負けまいとやっているのを見ると、かわいそうで。「年寄りぶりっこ」の方がいいって。昔から「年寄りぶりっこ」言われてんの、私。松田聖子ちゃんが出てきたころから。

お正月はこうせい、とか、お月見は…とか、お年寄りが言うようなことばっかり言うてたからでしょ。でも昔のお年寄りはそれが、次の歳事を待つのが喜びだったと思うんですよ。今は楽しみの間口が広がったから、あれですけど。

年取るとね、未来ってせいぜい来年の花見までよね。長いスパンで未来を考える必要なくなるのは、今が楽しいいうことでな。おばあさんは「向日葵(ひまわり)の大きな花が咲きにけり」みたいな句つくるわけだ。そりゃそうだわなあ言うて。ほんとおもしろいわ。

阿部みどり女が「九十の端(はした)を忘れ春を待つ」と詠んだりね。九十といくつか忘れた言うの。虚子が年下のお弟子・風生とのことを「風生と死の話して涼しさよ」とかね。晩年みな恬淡(てんたん)として、力を抜いた句をつくる。これはしめたもんですね。なかなか、意識してできるもんではないから。

私はそうねえ。「粽(ちまき)結う死後の長さを思いつつ」「死に未来あればこそ死ぬ百日紅さるすべり)」。これは親しくしてた中上健次が死んだときに詠んだ句ですけど、あれは実感だったな。死んでからの方が長いな、と。死んでからずーっと死んでるんだな、と。若いときに詠んだ死の句とは全然違う。

観念的じゃなくなるね。親しい人が多く向こうへ行くとね、向こうの世の方が近くなる感じで。日野草城の「菊見事死ぬときは出来るだけ楽に」やないけど、痛くなかろうか、くらいでね。

※平成2136日地元朝刊掲載