朴念仁の戯言

弁膜症を経て

夢野久作の歌といま

『水の透視画法8』幻夢かすめる通り魔

「殺すくらゐ 何でもない/と思ひつゝ人ごみの中を/闊歩(かっぽ)して行く」。高校の授業中に、こんな歌がのった本を教科書の下にかくして、どきどきしながら読みふけったことがある。「何者か殺し度(た)い気持ち/たゞひとり/アハ〱〱と高笑ひする」というのもあった。まだ活版印刷のころである。活字がざらざらの粗末な紙にくいこんでいたり刷りむらがあったりした。ページから生ぐさく、しけったにおいがただよってきて、血煙(ちけむり)のなかにいるように妄想したこともあった。「自分より優れた者が/皆死ねばいゝにと思ひ/鏡を見てゐる」という歌も、本の手ざわりやにおいの記憶とともに、いまなおそらんじている。
頭蓋(ずがい)の内壁にこびりついた若い日の暗い思索がめくられ、そそられたからであろう、歌境の浅さ、ふかさはどうあれ、思い出はあざやかである。そんななかでずっと謎めいたままの歌が一首あった。「白塗りのトラツクが街をヒタ走る/何処(どこ)までも〱/真赤になるまで」。まさか…という思いもあって、当時は首をかしげるばかりだった。いっときは、夕陽(ゆうひ)を浴びた街の点描(てんびょう)くらいにむりに思いなしはしたが、まがまがしく赤黒い情景は長年、脳裏のスクリーンでひそやかに溶暗(ようあん)したりをくりかえしていたのである。それもあり、秋葉原事件にはことのほかうろたえた。謎の歌の歌絵(うたえ)のようなものが、いきなり胸に結像し、それが眼前のテレビ映像とぴたりかさなったからである。予知夢のように。
歌によまれた幻夢を、40年以上もすぎてからうつつに見ているこの不思議をなんと名状してよいものか。正直、ことばもない。ただ、私はだれにでもなくつぶやいている。〈あの青年の衝迫と想念は、それだけのものであったなら、かならずしも新奇でも異常なものでもない〉と。衝迫と想念だけであったならば、1927年から1935年にかけてつくられ、いまだに読者をもつこれらの歌(夢野久作「猟奇歌(うた)」所収)がほぼあまさず表現済みなのだ。格差、差別、貧困、抑圧、人権無視、それらからくるルサンチマン…は、おそらく「猟奇歌」の昔のほうが、いまよりよほどひどかったはずである。夢野久作もエッセイや小説で当時の「唯物功利主義」を批判したり、地方と都市や富裕層貧困層の矛盾をえがいたりもした。
では、今昔のなにがことなり、なにが共通するのだろうか。秋葉原事件についてつづられたおびただしいブログのなかで〈犯人は捕まったのに、なにが〝真犯人〟かわからないのが悲しい〉という趣旨の若者の文章に私はひかれた。昔日との相違点はまさに、悪の核(コア)をそれとして指ししめすことのできないことなのかもしれない。どうやら資本が深くかかわるらしい〝原発悪〟が、ほうぼうに遠隔転移して、すべての人のこころにまんべんなく散りひろがってしまった状態が、いまという時代に手におえない病症ではないのか。万人が被害者であり加害者でもある世界。たしかにそれくらい悲しい時代はない。
この世界では資本という「虚」が、道義や公正、誠実といった「実」の価値をせせら笑い、泥足で踏みにじっている。そのような倒錯的世界にまっとうな情理などそだつわけがないだろう。なかんずく、実需がないのにただ金もうけのためにのみ各国の実体経済を食いあらし、結果、億万の貧者と破産者を生んでいる投機ファンドの暴力。それこそが世界規模の通り魔ではないのか。つるつるのサイバースペース(仮想空間)にすぎない虚のモニター画面が、これも資本のしわざだが、人間の実像をしめだし、内面をも占拠してしまっている。
実と虚が逆転してしまった世界では、正気と狂気の位相ももはや見わけがたい。秋葉原事件とはそうしたなかで起きるべくして起きた人間身体の〝発作〟ではなかったか。
いっかなかわらざるものは、悪の根源をとらえる視力をなくした世論の短絡ぶりである。せいぜいが〈加害者を厳罰に、不審者の監視強化を!〉としか唱和できないマスコミを、ブログや書きこみの多くは〝マスゴミ〟と呼ばわり軽蔑(けいべつ)と敵意をむきだしにしている。「猟奇歌」の昔にくらべ、字面は人にこよなくやさしい、いまという時代のおためごかしと酷薄を、若者たちは身にしみて感じている。
(作家・辺見庸さん)平成20年6月20日地元朝刊掲載