朴念仁の戯言

弁膜症を経て

いつだって人生やり直し

昨年末のテレビ番組に覚醒剤で捕まった清原和博が出演していた。
自業自得と言えど覚醒剤使用から逮捕されて独房入りするまでの状況と、そして、涙ながらに「息子に会いたい」と話す清原の哀しい姿。

その映像から目を離すことができず、言いようのない感情が胸に押し寄せていた。
草食動物のような繊細な心を隠して、他人が思う偶像に応えようとそれを演じ続けた結果、性同一性障害ならぬ心身同一障害を招いたのではないか。
その狭間を埋めるため覚醒剤に溺れたのだろう。

弱さを曝すには我を捨てる勇気がいる。
我は自己、その自己と思う自己を手放すことができればこの世に恐いものはない。
だが言うは易し、そうやすやすと我ら凡人にできることではない。

平成19年10月11日の地元紙から、話し手は民間施設ダルク代表の近藤恒夫さん。
見出しは、薬物依存の回復支援「神父との出会いが始まり」。
(以下、原文ママ
薬物依存者のための民間施設「ダルク」を二十二年前に立ち上げた近藤恒夫さん(六六)。苦しみを共有する仲間が共に生活し、ミーティングを繰り返して回復を目指す日本初の試みは、ある神父との交流から始まった。
「私は神父ですが、アルコール依存症です」。三十歳で覚せい剤におぼれた近藤さんが入院していた札幌市の精神科病院。訪れた米国出身のロイ・アッセンハイマー神父は、こう自己紹介した。ロイ神父は宣教師として来日。慣れない生活からアルコール依存症に。一時帰国後、日本でアルコール依存症の回復支援に従事し、薬物依存者にも声をかけていた。
退院後も覚せい剤から抜け出せない近藤さんはある日、ロイ神父を訪ねる。「シャブやるんだ。金貸してくれ」「そうですか。面白いですね」
ポンと四万円を渡され、面食らった。「彼だけは『やめろ』と言わなかった。選ぶのはあなた自身だってね」
覚せい剤使用などで逮捕された近藤さんは出所後、ロイ神父の活動を手伝う。神父自身、時々、酒に手を出してしまうことも。そんな弱さも仲間たちをひきつけた。
「薬物依存者の回復施設を作りたい」との思いが募り、近藤さんは東京都内の一軒家でダルクを始めた。「薬物依存者が集まったら大変なことになる」と周囲が反対する中、近藤さんを信じ、「全財産をつぎ込んで援助してくれた」のもロイ神父だった。
その後、ダルクは全国約五十カ所に広がった。スタッフは皆、ダルクに入寮経験がある回復者だ。その成長を見守りながら、ロイ神父は昨年、帰らぬ人に。
近藤さんは今、各地の刑務所や警察と連携した再発防止プログラムの実践に乗り出すなど、活動の幅を広げている。伝えたいロイ神父の言葉がある。「人生に失敗はない。何があっても、また一から始めればいいんだ」