朴念仁の戯言

弁膜症を経て

慈しみの心

先日、職場で不織布マスクを確保しておこうという話になり、ネットで1,000枚注文した。
それに便乗して、同僚皆で私用に追加注文した。
世界的需要の多さから割高ではあったが、我が身、家族を守るためであればケチ臭いことは言っていられない。

昨日、テレビでマスク製造に取り組み始めた国内の中小企業を紹介していた。
原材料が60倍までにも跳ね上がり、調達先の取り合いや変更もあって安定供給に苦労しているらしい。
他人事のようにそのまま聞き流す筈のそれが、「待てよ」と耳元で囁いた。
使い捨てのマスク。
安きに流され、馴らされていた自分に気が付いた。
多少の銭で済むなら手間暇かけず使い捨てを、に。
安くて早くて簡単で便利に。

「物を粗末にするな」と昔の人は言った。
この物とは手間かけて作られたモノであったろう。
手間かけた物には作った者の心が宿っていた。
今社会は、物と者との乖離が格段に進み、到頭、者が使い捨てにされる時代になった。
耳にすれば「もの」という同じ字訓。
物を粗末に扱えば、者も粗末に扱われるということか。

物の大量消費は、地球資源からの大量搾取に等しく、自然破壊に等しい。
大量のゴミと地球規模の公害も生み出す。
マイクロプラスチックを取り込んだ魚介類、汚染された水、大気汚染、多種の添加物にまみれた加工食品・・・。
知ってか知らでか人間の身体に取り込まれ、病に侵されていく。
モノの使い捨ては、人類滅亡の危機に直面すると知りながら核兵器保有数を競うことと同等の行為だろう。

地球生命体は循環して成り立ち、人間社会は因果応報の報い(彼岸でも)を受け、関係性・関連性を持って保たれている。

コロナ禍は人類へ大きな課題を突き付けた。
我が痛みを知って他人の痛みが理解できるように大きな痛みを伴って。
終息した暁には、世界にどのような意識改革、社会変革が齎されているだろうか。

さて、コロナ対策では、アイスランド、台湾、ドイツ、ニュージーランドフィンランドデンマーク各国の女性首相らのリーダーシップが称賛されている。
強権政治を推し進める米国のトランプ、中国の習近平、インドのモディ、フィリピンのドゥテルテ、ロシアのプーチンなどとは対照的に人間味ある権力を行使しているらしい。
その鍵となるのは、「現実と向き合う」「決断力」「テクノロジーの活用」「慈しみの心」の4点。

www.msn.com

先日、偶々、地元朝刊で印象に残った投稿文のタイトルがこの一つと同じだったので次に紹介して閉じたい。

「老いた母 虫にも慈しみの心」
母は80歳。
田舎で父と二人暮らし。
ある朝、母が部屋の隅から何かをそっとつまみ上げ、それを手のひらに乗せてささやきかけていた。
よく見るとカメムシ
私は、一瞬、目を疑った。
カメムシは誰もが嫌う害虫。
その虫に母は、「よく冬を越したな。したが、まだまだ外は寒い。まだ、しばらくここに居たほうがいいぞ」と小声で語りかけ、そっと元居たところに戻してやっていた。
子どものころ、しつけにとても厳しく、よく叱られたものだ。
ずいぶん丸くなったと思い、その様子をほっこりした気持ちで眺めていた。
年々、年老いていく両親。
しかし、そんな母の気持ちは年を重ねるごとに丸くなり、人としての深みを増し続けている。
人は成長し続けることができることを母からまた一つ教えられた。
郡山市の飯塚和也さん55歳(令和2年4月17日地元紙掲載)

7歳の誕生日に

一度死んで、また生まれることができて、昨日、小学一年生になった。
間もなく国内の都市部では緊急事態宣言が発令されるだろう。

最近読んだ本で合点がいった。
地球生命の理想的環境は大きな痛みが伴わないと為されないことを。
理想的環境の出現は今から600年後らしい。
その前に世界の人口は何かしらの事情で大幅に減少し、残された選ばれし者たちが争いのない、思いやり溢れた、愛ある人間社会、一つの生命体としての地球環境を築いていくとか。
何かしらの事情とは、人間にとって間違いなく不幸な出来事であり、大きな痛みを伴うものだろう。
温暖化による急激な気候変動、食品添加物や環境汚染など有毒物質が及ぼす出生率の低下、小惑星の突入や大隕石群の落下、核戦争、疫病、未曾有の自然災害、想像し得ない人的大惨事・・・。

新型コロナはその序章のように思える。

今世界が、これを機に人間存在の意味を明確に認識し、魂の進化に舵を切ることができれば、近い将来に訪れる何かしらの事情は緩やかに、穏やかに変化し、あるいは何も生ぜずに済むとも。
それができなければ、人間にとって長く暗黒の、受難の時代が続くらしい。

新型コロナは未来の、人類の命運を占う。

7歳の誕生日、人類の試練を知った。

 

今生の学び

先日、母のリハビリの帰りに近くの道の駅に寄った。
昼頃を大分過ぎていたが、弁当を買うついでに夕飯のカレーの食材も買おうと野菜館を物色していた。
すると、すぐ後ろを歩いていた母が急に咳き込み始めた。
母のバッグからマグボトルを取り出し、「コロナ騒ぎだから、(周りに)やばいよ」と言って手渡した。
白湯を口にして咳はすぐに治まったが、赤らみ帯びた母の顔には不安そうな表情が浮かんでいた。
そのまま買い物を続けていると、母はまた咳き込み始めた。
「外に行ってるから」
母は苦しげに、マスクの下から言葉をしぼり出してマグボトルを手に外へ出て行った。
私はそのまま買い物を続けた。
レジに向かう頃、母が戻って来た。
マグボトルを手にして目の前に立つ母。
その髪型は風に煽られたせいで崩れ、茫然自失の体をなしていた。
「髪の毛ボサボサだよ。どうしたの」
私は、笑いながら、笑いながら哀しみ深くし、悔やみの重さに沈んでいった。

この時の哀しみと後悔は、今から15年前のことを思い出させた。
その日、母と私は病室にいた。
祖母の様子窺いだった。
祖母は、狭心症気味で肝炎を患い、その後、大腸癌から肺癌を経て、自由勝手な独り暮らしもままならなくなって入院となった。
入院当初、意識ははっきりしていたが、徐々に食欲の衰えが見え始めた。
呆けのような兆候も見られるようになった。
「サヨばあ(婆)、サヨばあ、こっちさこー」
そう言いながら手招きする祖母に見舞いに来ていた叔母が不審に思って声を掛けると、
「おめぇはそごにサヨばあ坐ってんの見えねえのか」と言われたという。
祖母はその頃から、大分昔に亡くなった身内や知人の姿を見るようになったらしい。
今で言う「お迎え現象」だったのだろう。
これが最期とも覚悟もしていたようだ。
「(家の)ベッドは辰造にやれ。もう、駄目がもしんにぃ」
ふと祖母が洩らした言葉を、後日、母から聞いた。
その日、ベッドに横たわる祖母に意識はなかった。
いつ亡くなってもおかしくない状態だと医師から伝えられていた。
昼飯時か、夕飯前だったか、祖母の変わらぬ容体に痺れを切らした私は、母に帰宅を促して家路についた。
それから間もなくして祖母は亡くなった。
朝方、一人病室で誰に看取られることなく。

この二つの出来事の重なりは、カミソリの刃物のような酷薄さと、自分可愛さの我欲的自尊心が私の心の内に潜んでいることをありありと教え示した。
同時に、私の気質の欠損を示す四字熟語が浮かび上がり、その実践が今生の学びの一つと感取した。
「自己犠牲」
他者のために自己を捧げること。

 

見えないもの

新型ウイルスは見えない。
この見えないものに今人類は翻弄されている。

人の気持ちもそうだ。
意識して見ようとすればかろうじて目の動き、顔の表情、仕種で読むこともできるが、完全ではない。

新型ウイルスは、「見えないもの」の存在を病状という形で姿を見せた。
人の気持ちも、例えばネガティブな気持ちに囚われた者は、怒りに駆られ、精神に病を来し、意思伝達障害や引きこもり、それらが嵩じると虐待、万引き、薬物常習、殺人など種々数々の犯罪として世に表出する。

経済優先主義、物質至上主義、権威主義、利己主義、排他主義形式主義などに囚われた者は、貧富の格差を増大させ、同調圧力の風潮を蔓延させ、国法を解釈変更し、日本のように集団的自衛権を行使して、あるいは領土獲得を巡り、あるいは他国をけしかけ、核を後ろ盾に、いよいよ最後は誰もが知りつつも愚かにも地球生命が危ぶまれるほどの戦争をおっぱじめる。
戦争か、一時の平和か、そんな危なっかしい綱渡りの時代をいつまで続ける気でいるのか。

金にまみれた東京オリパラ。
新型ウイルスによるWHO(世界保健機関)の勧告を恐れた安倍政権がそれを阻止するために166億円もの税金をWHOへ寄付した事実、それを受け入れたWHO。
参加選手には我欲を捨てて世界をよくよく見渡してほしい。
勝ち負けやメダルが全てか。
何のためにスポーツに取り組んできたのか。
延期になったとしてもそこから学ぶことはあるはず。

新型ウイルスは、見えないものを見ようとすることの大切さと、東日本大震災や数々の自然災害と同様に人間社会の脆さと生のはかなさを教えるために、そして、社会変革の意識の芽生えを一人でも多くの人間に齎すために必然の出来事として起こった、私はそう捉えている。

 

新型コロナウイルス感染拡大の意味するもの

新型コロナウイルスの広がりは社会に未知なる不安を齎しているが、地球には一時の優しい処方箋だろう。
世界経済が足止めを喰えば二酸化炭素の排出も抑えられ、交流人口も少なくなり、交通機関の使用も限られる。
地球にようやく訪れた一時の安息。
調子に乗るなよ、人間。
守銭奴の富裕層や権力者の思い上がりをへし折ってやれ。

狂気の沙汰の8月の東京オリパラ開催。
開催期間は、巨額の放映権を持つ北米のテレビ局の顔色を窺い、米プロフットボールNFLや米プロバスケットボールNBAのシーズンを避けて設定されたという。
選手の競技環境よりも利害を最優先する、これが平和の祭典と言われるオリンピックの実情だ。

利害に群がる守銭奴の一国、日本。
表向きは聞こえの良い「統合リゾート」(IR)だが、実は賭博を合法的に進めて外貨を稼ごうという見下げた事業だ。
そして、IR事業の目的と同様に誘致したオリパラ。
日本はここまで成り下がってしまった。

いい加減に目を覚ませよ。
地球との共生や世界平和を遂げようとの行動を起こさなければ、社会不安や自然災害は何度でも人類の前に立ちはだかるだろう。

今回の新型コロナウイルスの感染拡大を自然災害に継ぐ大きな教訓と捉えたものの、何よりも感染された方々が少しでも早く治癒されるよう、また、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

沈黙を破る

「コルタン(タンタル)」という名を最近知った。
ICT産業が世界を席巻するようになって、この鉱物資源の需要が増し、これが産出国の紛争とおぞましい性暴力を招く結果になったことも。
世界で使用されるコルタンの約80%がコンゴ民主共和国のものだという。
コルタンは携帯電話、パソコン、ゲーム機など身近にある電化製品の部品の一部に使われている。
となれば、世界中の多くの人間が、無知のままに、間接的に異国の性暴力犯罪に加担していたことになる。
このことを、一昨年、ノーベル平和賞を受賞した婦人科医デニ・ムクウェゲ氏の演説で知った。

ムクウェゲ氏は2012年、コンゴの現状を国連で演説した。
自国の保健大臣から「国連でスピーチしたらあなたの命が危険になる」との忠告(脅し)に屈することなく。
ムクウェゲ氏にとって「沈黙」は最早許されないことだった。
治療した女性が再びレイプされ、その産まれた子もレイプされ、そして、その孫までがレイプされて病院に運ばれて来たのを目の当たりにしてからは。
演説して帰国すると、大臣の言葉通りに銃を持った男たちが家の前で待ち構えていた。
長年寝食を共にしてきた警備員が、咄嗟の判断でムクウェゲ氏の前に体を投げ出し、頭と背中を撃たれた。
ムクウェゲ氏は警備員と一緒になって床に倒れ、誰の血かも分からぬほど血まみれになった。
自分も撃たれたと思った。
銃で襲われ、人ひとり亡くなったというのに警察は全く捜査をしなかった。
止む無く、自分の命を守るため出国を決断した。

コルタンは、レアメタル(希少鉱物)とも言われる故に紛争の火種になっている。
砂糖に群がる蟻のように、金亡者どもがコルタンの産出地に群がり、その地域を破壊する。
そのやり口、戦略は残忍極まりない。
武器となるのは、地域の基盤である女性たちを破壊し、家族を破壊し、共同体の破壊を目的とするレイプ。
武装勢力によって公衆の面前で集団的に性暴力が行われる。
被害者の女性たちは共同体を追われ、家族を守れぬ男たちは恥じて村を去り、名も知られずひっそりと暮らせる場所を探す。
村から人がいなくなる。
そこに武装勢力が入り込み、土地を支配し、コンゴ東部の天然資源を独占していく。
レイプの被害女性に年齢の差はない。
内臓が完全に破壊された状態で運ばれて来た生後6カ月の乳児。
高齢者では80歳の女性も。
性器の中で銃を発砲したり、性器にやけどを負わせたり、ガラス片や異物を性器に挿入したりする暴力。
女性の体の上で起きている戦争、経済戦争。
スマホなど使っている世界中の誰もが、これらコンゴの惨状と繋がっている。
特にコルタンを需要・供給する企業には倫理上の責任が問われている。

「無知は時に悪を招く」
これでブログを締め括ろうとしたが、「無知」をネットで検索すると次の偉人の名言にあたった。

「無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つものは英雄なり」
古代ギリシャの哲学者ソクラテス

以下、ムクウェゲ氏の声を紹介して終わりたい。
世界中のコルタンの約80%がコンゴにあるから、あなたのポケットには「小さなコンゴの一部」が入っている。

どうしたらスマホをクリーンなものにできるかという問題なのだ。
メーカーに対してスマホに使われる鉱物がどの鉱山で産出されたものか、正確に把握するという働きかけもできるだろう。
汚いビジネスをやめるため企業が責任を負うことは可能なのだ。
スマホを10%値上げして作ることも可能。
高く買ってでも確かなものを買うことを望む。
安いスマホを選ぶことが人間を破壊することになると知っているから、私たちは消費者として発言する責任がある。
重要なことは誰も知らなかったでは済まされないということ。
「自分の問題ではない」と済ませてしまうこと。
それが「無関心」ということ。
「無関心」は常に悪い結果を生む。
他者への「無関心」は、私たちの人間性に大きな傷を与えるから。
世界中の人々は皆同じ「人間性」を共有している。
私たちは互いに支え合う責任もある。

アフリカには「ウブントゥ」という言葉がある。
それは「あなたがいるから私も存在できる」という言葉。
生きる使命と、自分のことのみ限定してしまうと人生は狭くなる。
自分は周りの人々のためにいると考える。
そうすれば行動範囲は無限に広がっていく。

女性たちは果物や野菜を売って私の飛行機代のために毎週金曜日に50ドルずつ集める活動を始めた。
自分たちは一日1ドルにも満たない生活をしているのに。
それを知り、私は強く勇気づけられた。
女性たちの人を生かす力に。
今では国連保護下で病院の中で暮らしている。

「沈黙を破ることが性暴力に対する絶対的な武器になる」

「有害な男らしさ」から「有益な男らしさ」へ。
男女は平等で同じ人間性を共有している。

被害女性には「自分自身との和解」「憎しみを持ち続けない」と伝えたい。
それができないと敵だけでなく、自分自身も破壊してしまう。

自分と同じような人間としての痛みや感情を相手は持ってないと思うようになった瞬間に、やり方はどうあれ、始まるのが戦争だと思う。

他者の気持になって考え、感じ取ることできる力。それが平和ということ。

人類史上、現在ほど人々が互いを必要としている時代はないと思う。
しかし、今世紀前半、これまで苦労して獲得してきた人間社会の進歩に逆行し、ナショナリズムポピュリズムが再び台頭している。
他者の恐怖心をあおり、無知や無関心を増大させ、非民主主義的な計画を推し進めようとするポピュリスト。
我々はそれを止める壁にならなければいけない

稲葉耶季さんの遺言

「いまを生きる16の知恵」
生きることは楽しいこと、大きな意味のあることです。

①川の水のように自然の流れに沿う
②自分の中のかすかな息吹を感じる繊細さを持つ
③他者と同じ息吹の中で生きていることを感じる
④興味のあることに集中する
⑤不安や恐怖を持たない
⑥喜びを持って生きる
⑦感謝を持って生きる
⑧風や太陽や月や星の語りかけを感じる
⑨木や草や花や石と語り合う
⑩人が喜ぶことを考える
⑪心を静かにする時間を持つ
⑫物を減らしてさわやかな環境にする
⑬天然の環境のもとで少量の食事をする
⑭ゴミを出さない
⑮金や物や地位が自分を幸せにすると考えない
⑯他者の生き方を肯定する

※稲葉耶季著「食べない、死なない、争わない」より