朴念仁の戯言

弁膜症を経て

新型コロナウイルス感染拡大の意味するもの

新型コロナウイルスの広がりは社会に未知なる不安を齎しているが、地球には一時の優しい処方箋だろう。
世界経済が足止めを喰えば二酸化炭素の排出も抑えられ、交流人口も少なくなり、交通機関の使用も限られる。
地球にようやく訪れた一時の安息。
調子に乗るなよ、人間。
守銭奴の富裕層や権力者の思い上がりをへし折ってやれ。

狂気の沙汰の8月の東京オリパラ開催。
開催期間は、巨額の放映権を持つ北米のテレビ局の顔色を窺い、米プロフットボールNFLや米プロバスケットボールNBAのシーズンを避けて設定されたという。
選手の競技環境よりも利害を最優先する、これが平和の祭典と言われるオリンピックの実情だ。

利害に群がる守銭奴の一国、日本。
表向きは聞こえの良い「統合リゾート」(IR)だが、実は賭博を合法的に進めて外貨を稼ごうという見下げた事業だ。
そして、IR事業の目的と同様に誘致したオリパラ。
日本はここまで成り下がってしまった。

いい加減に目を覚ませよ。
地球との共生や世界平和を遂げようとの行動を起こさなければ、社会不安や自然災害は何度でも人類の前に立ちはだかるだろう。

今回の新型コロナウイルスの感染拡大を自然災害に継ぐ大きな教訓と捉えたものの、何よりも感染された方々が少しでも早く治癒されるよう、また、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

沈黙を破る

「コルタン(タンタル)」という名を最近知った。
ICT産業が世界を席巻するようになって、この鉱物資源の需要が増し、これが産出国の紛争とおぞましい性暴力を招く結果になったことも。
世界で使用されるコルタンの約80%がコンゴ民主共和国のものだという。
コルタンは携帯電話、パソコン、ゲーム機など身近にある電化製品の部品の一部に使われている。
となれば、世界中の多くの人間が、無知のままに、間接的に異国の性暴力犯罪に加担していたことになる。
このことを、一昨年、ノーベル平和賞を受賞した婦人科医デニ・ムクウェゲ氏の演説で知った。

ムクウェゲ氏は2012年、コンゴの現状を国連で演説した。
自国の保健大臣から「国連でスピーチしたらあなたの命が危険になる」との忠告(脅し)に屈することなく。
ムクウェゲ氏にとって「沈黙」は最早許されないことだった。
治療した女性が再びレイプされ、その産まれた子もレイプされ、そして、その孫までがレイプされて病院に運ばれて来たのを目の当たりにしてからは。
演説して帰国すると、大臣の言葉通りに銃を持った男たちが家の前で待ち構えていた。
長年寝食を共にしてきた警備員が、咄嗟の判断でムクウェゲ氏の前に体を投げ出し、頭と背中を撃たれた。
ムクウェゲ氏は警備員と一緒になって床に倒れ、誰の血かも分からぬほど血まみれになった。
自分も撃たれたと思った。
銃で襲われ、人ひとり亡くなったというのに警察は全く捜査をしなかった。
止む無く、自分の命を守るため出国を決断した。

コルタンは、レアメタル(希少鉱物)とも言われる故に紛争の火種になっている。
砂糖に群がる蟻のように、金亡者どもがコルタンの産出地に群がり、その地域を破壊する。
そのやり口、戦略は残忍極まりない。
武器となるのは、地域の基盤である女性たちを破壊し、家族を破壊し、共同体の破壊を目的とするレイプ。
武装勢力によって公衆の面前で集団的に性暴力が行われる。
被害者の女性たちは共同体を追われ、家族を守れぬ男たちは恥じて村を去り、名も知られずひっそりと暮らせる場所を探す。
村から人がいなくなる。
そこに武装勢力が入り込み、土地を支配し、コンゴ東部の天然資源を独占していく。
レイプの被害女性に年齢の差はない。
内臓が完全に破壊された状態で運ばれて来た生後6カ月の乳児。
高齢者では80歳の女性も。
性器の中で銃を発砲したり、性器にやけどを負わせたり、ガラス片や異物を性器に挿入したりする暴力。
女性の体の上で起きている戦争、経済戦争。
スマホなど使っている世界中の誰もが、これらコンゴの惨状と繋がっている。
特にコルタンを需要・供給する企業には倫理上の責任が問われている。

「無知は時に悪を招く」
これでブログを締め括ろうとしたが、「無知」をネットで検索すると次の偉人の名言にあたった。

「無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つものは英雄なり」
古代ギリシャの哲学者ソクラテス

以下、ムクウェゲ氏の声を紹介して終わりたい。
世界中のコルタンの約80%がコンゴにあるから、あなたのポケットには「小さなコンゴの一部」が入っている。

どうしたらスマホをクリーンなものにできるかという問題なのだ。
メーカーに対してスマホに使われる鉱物がどの鉱山で産出されたものか、正確に把握するという働きかけもできるだろう。
汚いビジネスをやめるため企業が責任を負うことは可能なのだ。
スマホを10%値上げして作ることも可能。
高く買ってでも確かなものを買うことを望む。
安いスマホを選ぶことが人間を破壊することになると知っているから、私たちは消費者として発言する責任がある。
重要なことは誰も知らなかったでは済まされないということ。
「自分の問題ではない」と済ませてしまうこと。
それが「無関心」ということ。
「無関心」は常に悪い結果を生む。
他者への「無関心」は、私たちの人間性に大きな傷を与えるから。
世界中の人々は皆同じ「人間性」を共有している。
私たちは互いに支え合う責任もある。

アフリカには「ウブントゥ」という言葉がある。
それは「あなたがいるから私も存在できる」という言葉。
生きる使命と、自分のことのみ限定してしまうと人生は狭くなる。
自分は周りの人々のためにいると考える。
そうすれば行動範囲は無限に広がっていく。

女性たちは果物や野菜を売って私の飛行機代のために毎週金曜日に50ドルずつ集める活動を始めた。
自分たちは一日1ドルにも満たない生活をしているのに。
それを知り、私は強く勇気づけられた。
女性たちの人を生かす力に。
今では国連保護下で病院の中で暮らしている。

「沈黙を破ることが性暴力に対する絶対的な武器になる」

「有害な男らしさ」から「有益な男らしさ」へ。
男女は平等で同じ人間性を共有している。

被害女性には「自分自身との和解」「憎しみを持ち続けない」と伝えたい。
それができないと敵だけでなく、自分自身も破壊してしまう。

自分と同じような人間としての痛みや感情を相手は持ってないと思うようになった瞬間に、やり方はどうあれ、始まるのが戦争だと思う。

他者の気持になって考え、感じ取ることできる力。それが平和ということ。

人類史上、現在ほど人々が互いを必要としている時代はないと思う。
しかし、今世紀前半、これまで苦労して獲得してきた人間社会の進歩に逆行し、ナショナリズムポピュリズムが再び台頭している。
他者の恐怖心をあおり、無知や無関心を増大させ、非民主主義的な計画を推し進めようとするポピュリスト。
我々はそれを止める壁にならなければいけない

稲葉耶季さんの遺言

「いまを生きる16の知恵」
生きることは楽しいこと、大きな意味のあることです。

①川の水のように自然の流れに沿う
②自分の中のかすかな息吹を感じる繊細さを持つ
③他者と同じ息吹の中で生きていることを感じる
④興味のあることに集中する
⑤不安や恐怖を持たない
⑥喜びを持って生きる
⑦感謝を持って生きる
⑧風や太陽や月や星の語りかけを感じる
⑨木や草や花や石と語り合う
⑩人が喜ぶことを考える
⑪心を静かにする時間を持つ
⑫物を減らしてさわやかな環境にする
⑬天然の環境のもとで少量の食事をする
⑭ゴミを出さない
⑮金や物や地位が自分を幸せにすると考えない
⑯他者の生き方を肯定する

※稲葉耶季著「食べない、死なない、争わない」より

年頭に想う

新年だ。
年の区切りとして目出度いことなのだろうが、これも人間界の出来事であって、自然界は何ら変わりなく、過ぎ行く時の概念も人間だけのものであって、自然界はただ「今」あるだけ。
人間も肉を脱ぎ捨てれば、過去も現在も未来もなく、「今」あるだけの魂となる。

可燃物の収集日を狙って生ゴミを漁るカラスのように、庭の片隅の砂地に人糞と見紛うような糞を積み上げる野良猫のように、物悲しい眼で遠くを見詰める鎖に繋がれた飼い犬のように、今を生きたい。
「今」を意識し、今あることの有難味を知れ。

 

自学

そろそろテレビを消そうかと炬燵の上のリモコンに手を伸ばし、椅子に坐り直してテレビに向けた。
「ボクの自学ノート」
テレビ画面に浮かび上がる文字。
丁度、何かの番組が始まる時間帯だった。
「自学」の文字に好奇心が湧き、リモコンを手にしたまま、また椅子に坐り直して画面に見入った。

番組の主人公は梅田 明日佳君(現在17歳)。
彼は小学校時代に出された自由課題の、自らテーマを見つけ学ぶ「自学」に小3から中3までの7年間取り組んだ。
小学校までは自学の成果を評価してくれる教諭がいたが、中学生になると自学の課題はなくなり、環境は一変した。
生来、運動が苦手だった彼は、同級生たちの輪の中に溶け込むことができず、孤立しがちだった。そんなこともあってか、大半の生徒は部活動に励んでいたが、彼はどの部にも入らず、授業が終わると自宅に直行し、一人自学に励んでいた。
中学生になっても自学を続けて来られたのは、小3の時、地元時計店の社長と出会って自学ノートを通して新たな交流が始まったことが大きく影響しているようだ。
その後も彼独特の押しの強さで地元資料館の職員や様々な分野で活躍する人たちにも自学ノートを読んでもらえるようになり、自学ノートは彼らと会える「切符」、未知の扉を開ける「鍵」となった。

だが、母親としては、同い年の子とあまりに違う我が子の姿がとても心配だったようだ。
「コミュニケーション能力もないでしょ。積極的でもないでしょ。それがないと社会でやっていけないよっていう話も学校であったときはちょっとショックでしたけど…」と言って涙ぐむ。
でも、こう話す。
「自分の子どもではあるけど、『明日佳をこういう風に育てよう』とか、そういう考えはおこがましいと思っています。やっぱり、一人の人間ですから。人格があって、いろいろ自分で考えているので。道筋はつけてやっても結局、歩いていくのは自分なんですよ。あの子、「自学」で何を得たんでしょうね。小学生の時は「先生との対話」でしょ? 中学生になってからはいろんな人に会うための「切符」。だけど、やっぱり一番は「自分との対話」かな、と思います。自分がその時、考えていることをちゃんと言葉にする作業をずっと頑張って続けてきた。不器用な明日佳が、ここまで時間をかけてやってきた」

明日佳君の一日は、朝、新聞を読むことから始まる。
30分かけて新聞を読み、その中で特に注目した記事を切り取り、ファイルに保存しておくことが彼の日課だ。
(以下、明日佳君)
「自学ノートに書くのは、自分のための感想ではなく“他の人に読んでもらうための感想”なので、丁寧に書くようにしています。『どうやったら伝わるだろう?』とか、『どうしたら見やすいか?』をいつも考えています。誰が読んでも面白いものじゃないといけないので。言葉も練りに練った方がちゃんと相手に伝わる。推敲しないといいものはできない。ボクはそう思います」

「なかなか分かってもらえないけれど、『自分はこういうことを考えているんだ』というのを伝えたかったから、自学ノートを作りました。ボクがどういう人物であるかを知ってもらいたかった。もう、ありったけの時間を使うほど『ボクは自学ノートが好きなんだ』ということを知ってもらいたかったんです。思春期に熱中していたものはこれだから、『ボクにとっての青春はこれだな』と思います」

「(自学ノートは)切っても切り離せない存在です。ボクの中では、必要不可欠なものになっています。自分が今、どんなことを思っているか。以前、どんなことを考えていたか。それを見直すことができる。自分の考えをまとめるものであり、自分の心の支えでもあると思っています」

人の10倍もかかって書き上げる自学ノート。
ITがもてはやされる現代に背を向けるように、それを意に介すことなく自分の意志を貫く彼の姿勢、考え方に大いに励まされた。
私が下手なブログを続けているのも明日佳君の考えに近い。

童心そのままの、澄んだ目をした明日佳君の未来に幸多からんことを。

※引用先:NHKスペシャル

ステージ4

前回の「今この瞬間を共に生きる」と同じ紙面に、ぼうこうがんの手術から丸5年の節目を迎えたボクシング元世界ミドル級チャンピオンの記事が載っていた。
人間は死ぬほどの(身体的にも精神的にも)痛い思いをして、初めてそこから本当の人生が始まるというが、さても180度変わったという元チャンプの、「ボコボコ相談室」で回答していたような高飛車で、けんもほろろな言動は180度変わったのだろうか。

2013年、激しい頻尿に見舞われました。
医者に行きましたが、ぼうこう炎か何かだろうと。
薬を飲んでも治らず、大みそかの忘年会の日、大量の血尿が出て、これはやばいと思いました。
翌14年の2月、ぼうこうがんと診断されました。
初期かと思いきや、検査の度に悪いことが見つかる。
医師の一人からは「何もしなければ最悪あと1年」と言われ、がくぜんとしました。
ジムを一緒にやっている畑山隆則(ボクシング元世界王者)の勧めもあり、東大病院で手術を受けることになったのですが、入院直前にリンパ節への転移も分かり、0から4まであるがんのステージ(病期)は4になりました。
ネットを見ると、リンパ節転移があるぼうこうがんの5年生存率は25%と。
もう絶対に駄目だと諦めかけたのも事実です。
その気持ちを変えてくれたのが家族でした。
特に女房の支えは大きかった。
めちゃくちゃだった食生活を根本から見直し、気持ちを強く持たせてくれました。
女房がいなかったら頑張れなかったでしょうね。
闘病で何が大切かというと前向きになることだと思います。
ボクシングの現役時代もそうでした。
僕はネガティブな人間なので、試合前は絶対勝てない、と否定的に考えるのですが、だから必死に練習して、リングに上がる時は負けるはずはないと信じて闘いました。
世界王者に挑戦したとき、自分がタイトルを奪う確率は数パーセントもなかったと思います。
テレビも生放送でなく深夜の録画中継。
誰もが竹原のKO負けを予想していました。
でも判定で勝ったのです。
世界チャンピオンになったのだから、がんに負けない。
そう思うようになりました。
治療は、抗がん剤から始め、6月にぼうこうを全摘する手術を受けることになりました。
医師は高圧的でなく親身で、話も納得できました。
全摘の場合、ぼうこうの代わりが必要です。
方法は二つ。
腹にパウチと呼ばれる袋を付け、そこに尿を出すか、自分の小腸を切り取って体内に「新ぼうこう」をつくるか。
考えた末、新ぼうこうの方を選びました。
東大病院でも2例目の最先端ロボット手術で、11時間かかりました。
当時は保険適用でなく、250万円が必要でした。
術後の痛みは半端ではありません。
もう一度やれ、と言われたら断るでしょう。
病理検査の結果、転移のあったリンパ節から、がんがなくなっていました。
病気になって初めて、心から笑いました。
入院中に10の目標を立てました。
ホノルルマラソンを5時間以内で完走」は既に実現。
「ゴルフのシングルプレーヤー」は相当難しいですね。
新ぼうこうは尿意を感じないので、夜も2~3時間おきにトイレに行く不便さはありますが、慣れて順調です。
術後の定期検査は毎回ドキドキでしたが、3年を過ぎた頃から落ち着きました。
今年6月、ゴルフのコンペから帰宅したら、女房から「おめでとう。今日で5年だよ」と言われました。
ああそうだったと。
がんを経験し、自分は180度変わりました。
これからの人生、どうせやるなら楽しく、と決めています。
がんを通じて仲間もできました。
「元気をもらった」なんて言われるとうれしいですね。

※元世界ミドル級チャンピオン竹原慎二さん47歳(令和元年12月2日地元紙掲載) 

今この瞬間を共に生きる

一昨日から二日間、陋屋の庭の雪囲いに追われ、昨日の夕方にようやく終えた。
後片付けをしながら夕陽が沈んだ先の山並みの稜線に目を向けると、初冬の大気は橙色から瑠璃色の濃淡へと鮮やかな変化を見せ、その先を目で追っていくと、澄み渡る瑠璃色の天空には星々が早くも見え始めていた。
自然の色彩の鮮やかさに思わずため息が漏れた。
同時に、何故か息苦しいほどの寂寥感に包まれ、切なさで涙があふれ出そうになった。
夕陽の名残をそのまま見続けることはできなかった。

今朝の朝刊に老人ホームで介助の仕事をしている劇団主宰の菅原直樹さんの連載記事が載っていた。
「朝の老人ホーム、僕はおじいさんの介助をしていた。介助が終わり、部屋のカーテンを開けた。雲一つない青空が広がっていた。「いい天気ですね」と声をかけると、おじいさんは突然泣き出した。僕は驚いた。しかし、おじいさんと青空を眺めているうちに、だんだんと僕も泣けてきた。80年間いろいろあった。また新しい一日が始まる。まるで、そのことを祝っているかのような青空だ」

これを聞いた看護師は、脳梗塞の後遺症の一つ「感情失禁」と言ったそうだ。
ちょっとした刺激で感情があふれ出す症状。
菅原さんは言う。
「あの感動を「感情失禁」という一言で片づけてしまっていいのか、いや、あの瞬間にこそ介護の希望があったのではないか」と。

昨日、私が寂寥感を覚えたのは感情失禁の一種ではないかと思っている。
夕陽の名残の橙色と瑠璃色の空から感受したのは、菅原さんが感じた希望とは反対側の「生のはかなさ」だった。

感受したものは違っても、だからこそ今この瞬間を共に、共に、私は生きる。