朴念仁の戯言

弁膜症を経て

ステージ4

前回の「今この瞬間を共に生きる」と同じ紙面に、ぼうこうがんの手術から丸5年の節目を迎えたボクシング元世界ミドル級チャンピオンの記事が載っていた。
人間は死ぬほどの(身体的にも精神的にも)痛い思いをして、初めてそこから本当の人生が始まるというが、さても180度変わったという元チャンプの、「ボコボコ相談室」で回答していたような高飛車で、けんもほろろな言動は180度変わったのだろうか。

2013年、激しい頻尿に見舞われました。
医者に行きましたが、ぼうこう炎か何かだろうと。
薬を飲んでも治らず、大みそかの忘年会の日、大量の血尿が出て、これはやばいと思いました。
翌14年の2月、ぼうこうがんと診断されました。
初期かと思いきや、検査の度に悪いことが見つかる。
医師の一人からは「何もしなければ最悪あと1年」と言われ、がくぜんとしました。
ジムを一緒にやっている畑山隆則(ボクシング元世界王者)の勧めもあり、東大病院で手術を受けることになったのですが、入院直前にリンパ節への転移も分かり、0から4まであるがんのステージ(病期)は4になりました。
ネットを見ると、リンパ節転移があるぼうこうがんの5年生存率は25%と。
もう絶対に駄目だと諦めかけたのも事実です。
その気持ちを変えてくれたのが家族でした。
特に女房の支えは大きかった。
めちゃくちゃだった食生活を根本から見直し、気持ちを強く持たせてくれました。
女房がいなかったら頑張れなかったでしょうね。
闘病で何が大切かというと前向きになることだと思います。
ボクシングの現役時代もそうでした。
僕はネガティブな人間なので、試合前は絶対勝てない、と否定的に考えるのですが、だから必死に練習して、リングに上がる時は負けるはずはないと信じて闘いました。
世界王者に挑戦したとき、自分がタイトルを奪う確率は数パーセントもなかったと思います。
テレビも生放送でなく深夜の録画中継。
誰もが竹原のKO負けを予想していました。
でも判定で勝ったのです。
世界チャンピオンになったのだから、がんに負けない。
そう思うようになりました。
治療は、抗がん剤から始め、6月にぼうこうを全摘する手術を受けることになりました。
医師は高圧的でなく親身で、話も納得できました。
全摘の場合、ぼうこうの代わりが必要です。
方法は二つ。
腹にパウチと呼ばれる袋を付け、そこに尿を出すか、自分の小腸を切り取って体内に「新ぼうこう」をつくるか。
考えた末、新ぼうこうの方を選びました。
東大病院でも2例目の最先端ロボット手術で、11時間かかりました。
当時は保険適用でなく、250万円が必要でした。
術後の痛みは半端ではありません。
もう一度やれ、と言われたら断るでしょう。
病理検査の結果、転移のあったリンパ節から、がんがなくなっていました。
病気になって初めて、心から笑いました。
入院中に10の目標を立てました。
ホノルルマラソンを5時間以内で完走」は既に実現。
「ゴルフのシングルプレーヤー」は相当難しいですね。
新ぼうこうは尿意を感じないので、夜も2~3時間おきにトイレに行く不便さはありますが、慣れて順調です。
術後の定期検査は毎回ドキドキでしたが、3年を過ぎた頃から落ち着きました。
今年6月、ゴルフのコンペから帰宅したら、女房から「おめでとう。今日で5年だよ」と言われました。
ああそうだったと。
がんを経験し、自分は180度変わりました。
これからの人生、どうせやるなら楽しく、と決めています。
がんを通じて仲間もできました。
「元気をもらった」なんて言われるとうれしいですね。

※元世界ミドル級チャンピオン竹原慎二さん47歳(令和元年12月2日地元紙掲載)