朴念仁の戯言

弁膜症を経て

感謝の言葉

7月22日、Oさんが亡くなった。
享年72。
今朝のお悔やみの欄で知った。
突然の訃報に驚き、到頭来るべきものが来たかと虚無の風が体を通り抜けた。

人生の節目節目でOさんには感謝の言葉尽きぬほどお世話になった。
大学進学時、上京してのアパート探しと引っ越し。
大学中退後の帰郷。
またも懲りずに上京、今度は専門学校へ進学してのアパート探しと引っ越し。
またも中退後の帰郷。

車の免許を取得したばかりの頃、Oさんのセドリックを借りて高校時の同級生を乗せ、まちなかを得意気に運転していたらハンドルを切り過ぎて助手席側のドアを大きくへこませたことがあった。
そんな時もOさんは一言も非難めいたことを言わず、怒らず、許してくれた。
修理代なぞ微塵も要求することなく。

帰郷して車を必要としている頃、Oさんは私が乗りたかった三菱の、白の中古ジープを手配してくれもした。
セドリックの自損に懲りず、またも助手席側のオーバーフェンダーを電柱に派手にぶつけ、そのままの状態で乗り回していたジープを下取りにも出してくれた。

家族皆で和牛専門の高級料理店に何回も連れて行ってもらった。
ラーメン店には何回連れて行ってもらっただろう。

思い出せばもっと、もっとあるだろう。
本当に親身に、血の通った身内のように家族皆の面倒を見てくれた。
他人の心の痛みを我が事のように感じる人だった。

心底感謝しています。
安らかに、安らかにお休みください。
もう一度お会いしたかったです。
いずれまた彼岸でお会いする時、感謝の言葉をお伝えします。

今は此岸からOさんへ、この想いよ、届け!
本当に本当にありがとうございました。