朴念仁の戯言

弁膜症を経て

血より濃きもの -すてられし子にー ⑭

定められた時間にまいりますと玄関で待たされること一時間あまり、やがて大きな座敷へ通されました。
博士は火桶に手をかざしながら私をギョロリと見て、
「あんたを呼んだのは別(ほか)でもない、芳男に子どもがありますか?」

私はたぶんこんなことだろうと思い覚悟をしてきましたが、多くの人のいる前で、あまりにも横柄な言い方、その場の空気の冷たさに一瞬ハッとしましたが、
「ハイ、子どもがあります。女の子でございます」
「なに、女の子がある。やはり事実であったのか」
博士は唇をかんで私の顔をみつめました。
「子どものあることをいつわって結婚させたのですか? そんなことがいつまでもわからぬと思うているんですか。子どもの籍は法の網をくぐりぬけても、良心の網はくぐれないはずだ。なんという似非(えせ)宗教家だ、なんと返事ができる」
「ハイ、私はこの縁談は最初から反対でありました。それは芳男に聞いてくださればわかります。女児のありますことをご承知で、こちらとの縁談をすすめることを仲人さんへ申し上げたはずです。仲人さんにお聞きいただけばよくおわかりくださいます」
「この似非尼が、どのようにこざかしい言いのがれをしても、今さらとり返しがつくと思うてるんですか!」
「では、どういたしましたらよろしいですか」
「責任をとれ」
「責任と申されましても、私のようなものに、どのような責任をとればよいのでしょう?」
「とにかく責任をとれ、今日は帰れ」
「ご立派な人格者のあなたに、これだけのお叱りを受けました私はしあわせでございます。かたじけなく今日のお叱りをいただいて帰らせていただきます。また似非宗教家とまでいってくださいましたご教訓をありがたく御礼申し上げます」

きら星のように並ぶ法学博士たちの前を引きさがり、ふけた夜道をわが家へ帰りました。
今日まで数々の辱(はずかし)めを受けてきた私でありますが、月の光にみちびかれて帰る私の心は、スガスガしく、モヤモヤしていた胸の中が浄められる思いがいたしました。

芳男はすっかりしょげてしまい、私の顔を見ることができずうなだれていました。
「当然、来るべき時が来たのです。早く来ればそれだけ罪が早く軽くなるだけです。私はかえって良かったと思います。あれだけの侮辱を受け、あれほどののしられたら満足しました。すべては自分の不徳なのですから。今夜はもう家でお休み」

私は一カ月あまりの胸のかたまりが、法学博士に受けた言葉のメスに取りさられて、浄水で洗い落とされた気持で朝までぐっすり眠りました。

さて、問題は子どもの始末です。
博士と縁家先はどうしても子どもを他家へやり、親子の縁を切ってしまえと、やかましく申してまいります。
しかし私はどこまでも、この子を身にかえても育ててゆくつもりでありました。と申しますのは、——この子が成人して血を分けた親がどこの人であったかわからぬとしたら、どんなに悲しむことでしょう。これが第一の問題です。
第二は、父が若気(わかげ)のあやまりで、あとさきの分別もなく他家へやってしまい、縁が切れて生死も分からぬと聞いたら、必ず後悔するだろうということ。
第三は、この子を捨てた夫の妻として、やがて自分にも子どもが生まれ母となったとき、親としてのやさしい心が蘇ったら、きっと、何か胸の中にわだかまりが生じることと思います。
私はこの三つのことを、子どもや夫婦のためにいろいろ考えまして、私の手元で養育すれば、いつでも親の元へ渡してやることでができる。この子のえにしのためにも、私は大切に育ててゆくことにしたのです。

もとより芳男から一銭の養育費も受けず、清らかなみどり子の心を育てたかったのです。
白隠さんのまねごとではありませんが、世間から笑われ、他人からそしられても、私はただ黙ってこの子を背なに結びつけてもらい、近所の母親をたずねては貰い乳をしながら、育てたのです。

そのかみの白隠禅師をおもうなり
みどり子せなに乳もらうとて

やがて、時も過ぎ、私を昔からよく理解してくれている旧友から預からせてほしいとの申し出があり、私は喜んで、学校に通うようになった娘を、その旧い友の元へ渡しました。
今では、その娘も成人し、他家へ嫁ぎ、子どもに恵まれた家庭の母として人生を送っているそうです。
私の弟子からも、その娘の近況を折にふれて耳にしますが、会っては芳男の妻にすまないと心に言い聞かせ、その娘のしあわせを蔭ながら祈っています。

永い人生のあいだには、どうにもならぬ思わぬことにめぐり逢うものです。
しかし起こったことをとやかく問題にしても、またどうすることもできぬのが人間の宿業とでも言えましょう。
私はどんな逆縁も素直に受け入れ、そのことがらを通して、どう歩ませていただくかということに人生の大切な生き方があるのではないかと思うのでございます。

※仏光院の大石順教さん「無手の法悦」(春秋社)より