朴念仁の戯言

弁膜症を経て

血より濃きもの ーすてられし子にー ⑬

チッチュク チッチュク チッチュク チウ
スズメが鳴いてよる
何というて 鳴いてよる
チッチュク チッチュク 鳴いてよる

生まれて一年たらずの子がこんな他愛ない片言をいいながら、私の背なで喜ぶのです。
この子は私に何の血のつながりもない子でありますが、私が背負って育てねばならぬ不遇な生まれの子なのであります。
世間からは笑われ、他人からはそしられても、双手のない私はしょいひもで結びつけてもらい、ねんねこを着て大切に養育しなければならない子なのです。

「この子は、誰のお子はんだすか、まさか先生の子たちとも思えまへんがな」
「あの子は順教さんの子どもやそうな、イイヤ、順教さんの孫さんだと」

さまざまにうわさをされますが、私は人々の眼を背に受けながら、黙って母ならぬ親としてその子を育てたのであります。

しなえたる尼がちぶさにだまされて
なきねいりするいとしみどり子

そのみどり子のえにしというのは——。
あるところの講演をおえて宿所に帰って来ますと、一人の青年が私に面会をもとめておりました。
この青年は両親がなく、しかも母親の顔さえ知らず、父親は名のある宗門の僧でありましたが、少年のとき父に死に別れ、親族の世話になっていましたが、大学に通っているうちにその伯父も亡くなり、母なる人の面影をしのんでは淋しく暮らしているというのです。
「お母さんと呼ぶ人がほしい」と明け暮れ念じていたのです。
その青年を指導している教師からも、私を心の「母」と呼ばせてやってほしいとたのまれ、哀れに思いまして、その後「母さん」と呼ばせて、いく歳月が流れました。
そのうち、ある日のこと、この青年が、私のあずかっておりました父の名も母の名も知らぬ淋しい娘と、同じような境遇から心をよせあい、子どもができたというのです。
私は若い人たちの無軌道をと、叱っても、できたことはしかたなく、二人に結婚をするように計らいましたが、青年は親族の手前もあって家庭の妻にできぬ人だと詫びるのです。
しかたなく生まれた子は私が引きとり、別れることにしました。

生まれた子は女の子で、実に可愛い子でした。
しかし育てるにしても困ったことはこの子の戸籍のことです。
母のない子にするのは後々のために良くありませんから、両親そろった恥ずかしくない生まれにしてやりたいと考えぬいた末、何かと私の面倒を見てくれた旧い友人の子にしていただこうと、別れて20年近くになる人にお願いにまいったのです。

「突然ですが、子どもの親になっていただきたいのですけれど……」
あまりに意外な申し出に、しばらく言葉もありませんでしたが、
「それは、誰の子?」
「私の子です」
「あんたの子ども、——それで子どもの父親は」
「子どもの父親、その父親は″あなた″なんです」
友人はあきれた顔つきで当惑していましたが、やがて、
「あんたのことだ、何かまた引き受けたのだろう。相かわらずだなあ。俺は承知するが、家内が何というか。よい返事をすると思うが、あとから返事の手紙をあげよう」

翌(あく)る朝、速達のハガキが配達されました。
貪るように読みますと、「家内が、あんたのことなら、どんなことでもさせてもらう」といって、今度の子の籍のことも喜ん引き受けてくれたとありました。
なんとう、ありがたいことでしょう。
子どもの籍はとにかくとして、その尊い心持を勿体なく思ったことでした。

ところが、その女児の父親に嫁を世話しようという人がありました。
その嫁になる女性は、ある著名な法学博士の姪にあたるとかで、縁組は養子にしてほしいとのことでした。
私は子の良き母となってくれる女性としてならうれしいことですが、幼い子を捨てて他家へ養子にいくような不心得は反対だ、と申しました。
その仲人となる人は、女の子のあることを承知の上なのですか、とたずねますと、「よく知っています。その子はどこかへ貰ってもらうようようにするから」と申しますので、私は、なおさらとんでもない不心得だと叱りつけて、この縁組には耳を傾けませんでした。
しかし縁談は私の知らぬ間にずんずんとすすみ、いよいよ結婚式をあげることになっていたのです。

挙式の前日、彼は私にいとまごいやら、女児のことなどを頼みにまいりました。
「お母さん、一生のお願いです。明日の結婚の式場へ出席していただけませんか」と申します。(彼の名を仮に「芳男」としておきましょう)
「芳男さん、あんた、それ本気で私に言っているの、私は出席しません」
「ハイ、しかし……僕には親も何もないのです。お母さんよりほかにないのです。僕は一人で、肩身のせまい思いで式をあげねばなりません」
「それはあなたの勝手気ままからできたことです。子どもにだってすまないでしょう」
「女の子は他家へやります」
「女の子を他の家へやる、今一度言ってごらんなさい。なんということです。そんなことだから子どもを片親にしたのです。そんな心で一人前のものになれると思っているのですか、なぜ子どもの良き母となる人と、結婚をしないのですか、この不心得者が」
私は子を背におんぶして思わず彼の胸をつきました。
彼は倒れながら起きようともせず、
「お母さん、すみません。ゆるしてください。そしてお母さんの気のすむまで僕を足で蹴ってください。お母さんの手が痛みます。僕への制裁なら足にかけてください。お母さん、僕の心得ちがいをゆるしてください。そしていつまでもお母さんとだけは呼ばせてください」
芳男は私の前にひれ伏して泣くのです。
ややしばらくして立ち上がると、
「僕、明日の結婚式を断ってきます」と、出て行こうとします。
「バカもいいかげんにしなさい。今さら断ってどうします? 先方の娘さんに傷をつけるようなことをしたらどうします。どこまで分別のないわからずやなのです。今となってはどうしようもありません。すべて仏様へお詫びをして成行きにまかせましょう」と申しまして、明日の挙式へ出席することにしたのです。
式もめでたくすみました。
一カ月もたちましたある日、嫁の叔父の法学博士から私にすぐ来るようにとの使いがまいりました。

※仏光院の大石順教さん「無手の法悦」(春秋社)より