朴念仁の戯言

弁膜症を経て

内で習いが外で出る ②

それは、私が15の年の正月だったと記憶しております。私が家のご不浄から出て参りますと、そこにお義父さんが立っていました。そして私に、

「妻吉(つまきち)、お前、今年いくつになった?」

「私(わて)、15になりました」

「ふうん15にな、15の娘がご不浄に入ることを知らんなあー、わしは今この便所(はばかり)から出てきて、ちゃんと草履を向こうむきに一足揃えてぬいでおいたんやぜ。けれどお前が後から入ってぬぎすてた草履を見れば、一方は横むきで一方はこちらをむけてぬいである。何の気もなく足にかけた草履だが、心がけて入れば、先の人が後の人の履きやすいように、揃えてぬいであったように、お前も後の人の入りやすいように、向こうむきにぬいでおくのが道理やろ。そんな行儀の悪いぬぎ方をする者は、便所の中でも行儀が悪かろうな。その後へ誰かが入ったとしたら、心ある人は必ず気がつくだろう。用に行く時は気も焦々(いらいら)しているが、用をしてしまえば落ち着いているんやから、自分は汚していないだろうかと、一応は見直して一滴でも汚していたなら紙で拭き取っておくこと、また常々心がけて用をしておれば汚れることもなかろう。お前のすることは無茶人のすることだと、義父さんは思う。茶というものは、茶席に入っている時だけが茶でない。いかなる場合も茶でなければあかん。昔から心ない人のことを、あれは無茶な人やともいうくらいだ。他の妓(こ)どもたちはともかくも、日本一の踊りの師匠になるつもりなら、何から何まで修行が一番だぜ。金銀財宝が山ほどあっても、行ないのできぬ者は何の財産もない人だ。義父さんのような身をくずした者でも若いころからの習慣はこわいもので、氏(うじ)より育ちや。どんな生活していても、無茶人にはなるなよ。一事が万事で、″内で習いが外で出る″というけど、日常の暮らしが何事にでも行き届くように、物の始末が肝腎だから、よう心がけておくれ」

お義父さんはそう言ってしみじみと私に注意してくれるのでした。下駄のぬぎ方一つでも、私には厳しかったのです。それなればこそ、あの血みどろの中で生死の境にいた私が、蒲鉾板の在処(ありか)を人に言えたことと思います。病院の草履も心にかかりまして、乱雑にぬいであった人々の足あとの始末をしたのでしょう。

私のささやかな草庵も、ご不浄だけは気をつけております。また必ずご不浄の中には一輪の花を挿してあります。美しい花を見ておれば自然と汚さぬ心にもなるでしょう。45年前、養父の残してくれた訓(さと)しの言葉を、今なお有難く思うております。

※仏光院の大石順教さん「無手の法悦」(春秋社)より