朴念仁の戯言

弁膜症を経て

明治維新は緊急避難

一等国の夢

明治維新はなぜ起きたのか。
そして維新という選択は、この国の在り方にどのような影響を与えたのか。
日本近代史家の渡辺京二さんは、西欧列強に対するおびえが武士らを突き動かし、国家主義につながったと語る。

江戸末期の日本は幕府、朝廷、そして雄藩に権力が分散していた。このまま生き馬の目を抜くような国際社会に出て行くと、外国の餌食、植民地となる恐れがあった。この強烈な危機感の中、生き残りのために中下級の武士、いわゆる志士らが立ち上がったのです。

権力を一元化して統一国家をつくるには有力な藩や朝廷による合議体とするのか、幕府を倒すのか二つの方法がありました。そこで朝廷の岩倉具視薩摩藩大久保利通らが陰謀を巡らせ、将軍・藩主を超える忠誠の対象として天皇を担ぎ出し、倒幕したのです。

この明治維新の作業は、西洋近代文明への衝撃、そして列強の恐れからくる緊急避難だったのです。人民をより幸せにするといった理想に基づいたものではなかった。

〈明治政府は1871(明治4)年、新国家建設のため岩倉や大久保らを欧米諸国に派遣した〉

既に国民国家を確立していた欧米は、世界の各地に植民地を持って競い合う状況にあった。これらの国と互角にやり合うには、日本も強兵のために国を豊かにする富国強兵しかないと大久保らは覚ったのです。
だから明治国家をつくった中核の人のほとんどは、個人の権利や自由よりも国を優先する国家主義ナショナリストになっていきました。

お上の権威も、江戸時代よりもはるかに強力にしました。明治憲法が定めた天皇の在り方は、それまでの歴史上、一度も存在したことのないような異様なものです。皇帝、絶対王政の君主のような存在になりました。

確かにジャーナリズム、文学、芸術、人権の尊重といった思想、民権の自覚、議会制度など魅力的なものが西洋から入ってきましたが、これはあくまでの変革の随伴物としてです。文明開化も、シャバを少しでもいいものにという民間の動きでした。

1904年に始まった日露戦争に勝利した日本は一等国、大国の仲間入りをしたと喜びました。幕末や明治の初めに欧米の外交使節にばかにされ、強い劣等感が残っていたから、一等国になりたくて仕方なかったのです。

国内でも幕末の思想家横井小楠や、西郷隆盛のように、東洋の道義を守ろうという意見もあった。急に変革するのではなく、緩やかな近代化、内発的な発展と言える、もう一つの国づくりの可能性もあったはずです。

〈戦後の日本は戦前の軍事国家、警察国家の全面否定から始まった〉

79年に日本的経営を高く評価した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が発表され、経済大国と評価されて一等国願望が復活した。傷ついたこの国の自尊心を取り戻そうとしています。

今でもオリンピックでのメダル数や、世界の大学ランキングで何位かを競っている。国際的な威信や名声を高めることに躍起になっている。

しかし、幸福度が高いと言われているスイスとか北欧の国は大国と呼ばれているでしょうか。日本社会は満足感、安心感、そして充足感を、暮らす者に本当に与えているでしょうか。

明治維新が残した一等国の願望、国家主義の尻尾をもう引きずる必要はないはずです。このナショナリズムをそろそろ卒業しなければ、戦争に負けた意味がないのではないでしょうか。

※平成30年12月28日地元紙「このときから始まった 150年の軌跡」より