朴念仁の戯言

弁膜症を経て

もう死ぬから・・・耳に残る母の声

8月には5歳の時を思い出します。
2歳の弟と防空壕に避難した時のことです。
B29の爆弾の音、まぶしい閃光は頭に焼き付いています。
それ以上に衝撃を受けたのは、家族10人を父と支えていた母が、壕の水たまりで服が濡れて泣く私に言った言葉です。
「もう死ぬのだからいいんだよ」

母の悲痛な叫びとも思える声は、忘れられません。
疲れ果てた末の言葉だったのでしょう。
今になると分かります。

孫に語り継ぐことが必要だと思っています。
息子からも話してあげてと言われています。
食べ物がなく、鉛筆1本、消しゴム一つでも友と貸し借りした小学校時代。
ちっちゃな出来事でも孫は目を輝かせて聞きます。
この輝きを忘れず、平和な日本を担う若者になってほしいと思います。

孫は、学校で私と同年齢の男性から話を聞いたそうです。
「戦時中、大事に育てた鶏を知らないうちに食べられ、それ以来、鶏肉は食べられないんだって。戦争ってひどいね。嫌だね」
孫は心を痛めたようです。
戦争は人間を狂わせます。

いわき市の小沢龍子さん78歳(平成30年8月21日地元紙掲載)