朴念仁の戯言

弁膜症を経て

尊厳を傷つける差別

伊波敏男著 ハンセン病を生きて 

偏見や差別は人間の魂をそこなう。
日本社会は長い間、ハンセン病の患者や回復者の人権を奪い、尊厳を傷つけてきた。
伊波敏男(いはとしお)(1943年~)の「ハンセン病を生きて」は回復者の著者が自らの体験や若者との交流を通じて考えてきたことをつづる。
いわれのない汚名や排除の中で味わってきた屈辱や悲しみ。
しかし著者は絶望せず、前を向いて歩いてきた。

ハンセン病は「らい菌」という病原菌によって起きる感染症で、遺伝性の病気ではない。
だが53年制定の「らい予防法」は患者を強制隔離する政策を中心にすえ、特効薬の登場で「治る病気」になっても96年まで続いた。
国が過ちを認めて謝罪したのは2001年。その後も社会には差別意識が根強く残っている。

沖縄県生まれの伊波は1957年、中二の時にハンセン病を発症、家族と引き離され療養所に入所する。そこで偽名を与えられる。名前さえ奪われるのだ。
高校に進学したくて療養所を脱走し、本土へ。
12回もの整形手術を受け、社会復帰を果たす。
回復者であることを隠さずに仕事を得て、結婚し、子どもも授かる。
だが保育園から子どもの入園を拒否されるなど、生活上の困難は絶えない。やがて離婚。別れ際に小二の息子が泣きじゃくる。
「お父さんのシャツのボタン、これからだれがかけてくれるの?」
手に障害がある父のシャツのボタンかけは息子の役割なのだ。

ハンセン病について学ぶ長野の中学生との記録はさわやかだ。
伊波が若者の感性を信頼しているのが分かる。

伊波は本書で読者にこう語りかける。
「人間は多くの間違いをおかします。しかし、その間違いをただすのもまた、人間の理性と勇気にしかできないものです」

 

ホテルの宿泊拒否
ハンセン病に対する偏見を示す例として、本書は2003年の出来事に触れている。
熊本県にあったホテルが、ハンセン病療養所の入所者の宿泊を拒否したのだ。
ホテル側の謝罪を療養所自治会が断ったニュースが流れると、療養所に匿名の手紙が多数届いた。
「人間はどうしてこんなにも残酷な手紙を書けるのだろうか」
著者の伊波敏男はそう嘆いている。

 

※平成30年5月13日地元紙「本の世界へようこそ」より