朴念仁の戯言

弁膜症を経て

東京大空襲の日 夫まさに間一髪

戦争の真っただ中でしたが、夫は旧制中学を終え、大学受験のため、伯父夫婦を頼って上京しました。
食糧難の時代。宿泊するためには、食料を持参する必要がありました。
それを工面するため、義母はたった一枚の銘仙の着物とコメを交換して、夫に持たせてくれたそうです。
切符を購入することも難しく、行列に並んでようやく手に入れることができました。
無事に受験を済ませ、帰宅しようと停車場にたどり着いた際に、伯父が追い掛けてきて、一晩泊っていくようにと勧めてくれましたが、切符は当日限りだったため、丁重に断って帰宅したとの話を聞いていました。
翌日、東京大空襲があったのです。B29の爆弾投下で、東京は火の海。
伯父夫婦の家は跡形もなくなり、現在も伯父夫婦は不明のままです。
夫は、子や孫に、九死に一生を得た体験をよく聞かせていました。
大空襲のあった三月十日。
東日本大震災の年、偶然でしょうか、同じ日に夫は生涯を閉じました。

いわき市の小泉通子さん88歳(平成30年5月12日地元紙掲載)