朴念仁の戯言

弁膜症を経て

人生をつむぐ

1時間以上歩いたころ、営業しているドラッグストアを見つけた。なかに入って、コーヒーを飲んだ。コーヒーは沸かしなおしで、黒くて苦く―—薬みたいな味がした。まさにわたしが飲みたかったものだった。すでにほっとした気持ちだったが、今度は幸せな気分になってきた。一人でいられることの幸せ。外の歩道を照らす夕刻間近の暑い日ざしや、葉が茂り始めたばかりの木の枝がわずかな影を投げかけるのを眺めることの。店の奥から響く、わたしにコーヒーを出してくれた男がラジオで聞いている野球中継の音を耳にすることの。アルフリーダについて書くつもりの物語のことを考えていたわけではない―—特にそのことを考えていたわけではない―—自分が書きたいものについて考えていたのだ。だが、それは物語を構築していくというよりは、宙からなにかをつかみだすのに近いように思えた。群衆のどよめきが、悲しみに満ちた大きな心臓の鼓動のように聞こえてきた。心地よい型どおりの音の波、その遠い、ほとんど非人間的な賛同と悲嘆。

それが私の望んでいたもの、それがわたしが留意せねばと思っていたこと、それこそわたしが送りたいと思っていた人生だった。

アリス・マンロー著「家に伝わる家具」より