朴念仁の戯言

弁膜症を経て

命をもらうこと 感謝して食べる

私は授業で畜産を勉強しています。
昨年、鶏の解体をしました。
鶏はひなから飼い始め、授業選択のみんなで大きくなるまで育てたものです。
大事に育ててきた鶏を解体するときは、とても複雑な気持ちになりました。
解体は、まず鶏の足を縛り、逆さに吊るすところから始めます。
顔を押さえながら、首の血管を切って血抜きを行うのですが、私は首を切る時点でかわいそうになり、自分で手を下すことができませんでした。
解体してからは、誰もが店頭で見掛ける肉の姿になります。
私は動物が好きで畜産の授業を選択しました。
しかし、鶏の解体は思いもよらない体験でした。
この授業によって、肉が店で売られているという当たり前の光景の裏には、毎日、専門家によって家畜が解体されているという事実があることが分かりました。
私たちは常に動物の命をいただいて生きている。
そのことに感謝すべきだと強く思います。

※安達東高2年の大内亜依さん(平成29年3月27日地元紙掲載)