朴念仁の戯言

弁膜症を経て

先祖の思い 魂宿る

小正月、雪で白一色だった奥会津に一気に彩りが加わる。
団子さし、もぐら除けや長虫除け、賽(さい)の神、早乙女踊り、初田植、成木責(なりきぜめ)…奥会津には小正月の行事が多い。
その一つに「道具の歳取り」がある。仕事や日常で使っている道具を祀り、感謝して五穀豊穣を祈る風習で、一昔前までは各家庭で行われてきた。今も道具の歳取りを続けているお宅があると聞き、金山町を訪ねた。
「まず仏様にお供えしてきます」
手土産の菓子折を押し戴くと、中丸吉之助さんはそう言って仏間へと消えた。吉之助さんに付いて私たちも仏間に入ると、奥の座敷にきれいに並べられた道具が目に飛び込んできた。
一畳ほどの茣蓙(ござ)の上に祀られているのは、農具、裁縫道具、包丁、工具、習い事の道具、掃除機やアイロン、パソコンなど実にさまざまだ。道具の前には鏡餅と御神酒、御膳が供えられ、手作りの餡(あん)ころ餅や「もちのこ」と呼ばれる汁物、酢蛸(すだこ)、大根おろしが並んでいた。
ラクターや精米機など大きくて動かせないものは、車庫や納屋で同様のお供えをするという。
時代と共に道具は変わっても、慈しむ心は変わらない。
「孫が学校から帰ると、一人一人ランドセルをお祀りして拝みます」と吉之助さん。
後方の桐の箱には代々伝わる古文書が収められている。障子明かりに古文書を広げ、解る文字だけ拾い読んでいると、ふいに「ごおー」という音がした。驚いて目を上げると、吉之助さんが微笑んで言った。
只見線です」
蝋燭が点(とも)されると、吉之助さんは奥様の昌子さんとお二人で道具に深々と頭を下げ、拍手(かしわで)を打ってお参りされた。
「こうして今年も元気で道具を持って働けることに感謝しています」
日々世話になっている道具を一日休ませて労(ねぎら)い、共に歳を重ねて祝う。

三島町の五十嵐文吾さんも、毎年欠かさず道具の歳取りをされている。
文吾さんの家では大ぶりの鋸(のこぎり)や鉞(まさかり)などが並び、やはり鏡餅や御神酒、団子が供えられていた。
またたびを編んでいた文吾さんが編み組の道具を手に現れ、お話を聞かせてくださった。
文吾さんは御年93歳。21歳で応召し、三年後に終戦を迎えた。軍隊での思い出は辛いことばかりだ。冬の会津の暮らしは厳しく、毎年遠くまで出稼ぎに行った。
「子供の頃の道具の歳取りに、父の姿はありませんでした」と長女の純子さんは振り返る。
冬の間は年寄りが伝統行事を仕切り、決して途絶えさせることはなかった。
「昔の人は本当に立派だった」と文吾さん。
もののなかった時代、道具も家族同然だった。だから道具を跨(また)いだりしたらひどく叱られたそうだ。
大ぶりの鋸は純子さんのご主人の実家に伝わる古いもので、燕三条の鍛冶屋が打ち延べた一級品だ。昔はこれで大木を切り倒したのだという。
文吾さんが鋸を持たせてくれた。鋸は一人では持てないほど重かった。
「昔のことを考えれば涙が出てくる…」
文吾さんがぽつりとおっしゃった。
歳取りを重ねてきた道具には、代々それらを使い懸命に生きてきた先祖の思いと魂が宿っている。
歳取りの行事を続けることは先祖の思いを継ぎ、先祖と共に生きることでもある。

俳人黛まどかさん(平成28年2月9日地元紙掲載「ふくしまを詠む」より)