朴念仁の戯言

弁膜症を経て

言葉は私たちのもの

大野 晋(おおの すすむ)著   日本語の年輪

「言霊」という言葉がある。言葉に宿る不思議な力のことだ。私たちの祖先は言葉に敏感で、恐れ、大切にしてきた。結婚式では「別れる」「切れる」といった「忌(い)み言葉」をさけ、受験生には「落ちる」「すべる」と言わないようにする。現代人も心のどこかで言霊を信じているのだろう。
日本語学者、大野晋(1919〜2008年)の「日本語の年輪」は、一つ一つの言葉を手がかりに日本語とは何か、日本人とはどんな存在かを探る。根底には言葉への深い愛情と信頼がある。
大野によれば、言葉には、人間のものの考え方、感じ方を決定していく力がある。一方で人間も言葉を変えていく力を持つ。
「この二つの力が螺旋(らせん)のようにぐるぐる廻って、かわるがわるに働きながら日本語の長い歴史を作って来た」
うつくしい、ゆゆしい、おいしい、かわいい…。58の言葉について、古代から現代まで、用例を引きながら変化をみる。
例えば「きみ」。「万葉集」では女から男を呼ぶのに使われている。だが明治以降は「一対一の人間として相手を重く見るという新しい人間関係を示す言葉」となった。

外国語と比べた考察も。「おおやけ」は日本語ではもともと「大きな家」、つまり「天皇の家」を意味したが、英語やフランス語の「パブリック」は「ピープル(人民)」と源(みなもと)が同じだ。「おおやけ」の考え方の違いがおのずから明らかになる。
後半で日本語の歴史を概観する。戦後の一時期、漢字を全廃しようとする動きがあった。この政策に対して大野は「文字を制限して、人々の表現の自由を拘束する権利を誰も持たないはずである」と怒りをあらわにする。言葉は国のものではなく、私たち一人一人のもの。そんな声が聞こえてくるようだ。

※地元紙ジュニア新聞「本の世界へようこそ」より