朴念仁の戯言

弁膜症を経て

苦しみ背負う人 忘れないで

汚染された魚介類で神経障害を発症した水俣病患者を描いた「苦海浄土(くがいじょうど)」で知られる作家石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さん(88)=熊本市=が、共同通信のインタビューに応じた。水俣病は5月1日で公式確認から59年。被害の全容はつかめないまま、患者の高齢化が進む。
「苦しみを背負ってあの世に行こうとしている人がいることを忘れてはいけない」
石牟礼さんは訴える。

-55年ほど前、最初に水俣病の患者を見た時を鮮明に覚えている。
「夕暮れ、結核の長男が入院していた水俣市立病院に、真っ白な包帯で頭を包み、ゆっくり歩く人がいた。何の病気かと思ったら『奇病の病人』と噂になっていました」

-許可を得て病棟に入ると、「苦海浄土」に登場することになる患者の釜鶴松さんがいた。
「私は見知らぬ人間でしょ。ベッドに寝ていた釜さんは、漫画でパタッと顔を隠した。『しまった』。自分が(健康な)人間である嫌悪感に耐えられませんでした」

-患者は各地で出ていた。
「どの家も生活できなくなり、裁判や原因企業であるチッソとの交渉に入った。患者たちは、チッソ社長なら偉いから人徳があって分かってもらえると思っていた。ところが、長い間、多忙を理由に面会を断られ、偉い人でも人徳があるとは限らないと知ったんです」

-解決は遅い。
「59年という年月は人間の一生ですよね。私は書いたり話したりできるけど、それでも一生は語り尽くせない。(発達障害の出る)胎児性患者や小児性患者の中には、語ることさえできない人もいる。患者が余りに多く、チッソも国も(被害の全容が)分からないのでしょうが、一人一人に聞けば、生々しい状況が分かるはずです。でも、行政は全然調査をしない」

-最近では東京電力福島第一原発事故、沖縄の基地問題が…。
「日本は近代、大企業中心、経済第一の社会が制度化されてきた。中央志向とも言われる。水俣の苦しみと同じです」

水俣病患者の多くが高齢化している。
「(語り部として活動していた)水俣病患者の杉本栄子さんが亡くなる前に来ました。『全部許すことにした。チッソも、私たちをいじめ、差別した人や世間も許す。その代わり、水俣病の苦しみを全部あの世に持って行く』と言う。苦しみを知っていたから、よくそんな気持ちになられたなと感じた。現代に生きるわれわれが許される。それでいいのかしら、と思いますね」

(注)水俣病 熊本県水俣市チッソ水俣工場がメチル水銀を含む排水を海に流し、汚染された魚介類を食べた住民らが手足のしびれ、視野狭窄などの神経障害を発症した公害病。1956年5月1日、公式確認された。当初は感染症の「奇病」と間違われ、患者や家族が差別され、補償を受けたり訴訟を起こしたりした人への偏見もあった。国は2015年3月末で全国約3,000人を患者認定しているが、今も新たな確定申請や賠償請求訴訟が続いている。新潟県阿賀野川流域)の昭和電工鹿瀬工場の排水が原因となった新潟水俣病(1965年5月31日公式確認)もある。

平成27年5月6日地元紙掲載