朴念仁の戯言

弁膜症を経て

父の罪、許されない

オウム・松本死刑囚の四女 「生まれた自分が憎い」
オウム真理教松本智津夫死刑囚(59)=教祖名麻原彰晃=の四女(25)が14日までに共同通信の取材に応じ、「父は許されない罪を犯した。被害者の方々に償いきれるものではなく、死刑の執行を望んでいる」と現在の心境を語った。
四女によると、1989年、静岡県富士宮市の教団施設で生まれ、6歳の時に松本死刑囚が逮捕された。
その後、ほかの家族らと千葉、茨城、栃木各県や都内などを転々とし、16歳で家出した。
一連のオウム事件をめぐる公判記録を調べて教団の罪を理解し、18歳で信仰と結別。
現在は家族や信者と連絡を絶って生活しているが、罪悪感から繰り返し自殺を図ったという。
「父の娘に生まれた自分を、この世から消し去りたいくらい憎んでいる」とも話した。
松本死刑囚とは、2008年までに6回ほど収容先の東京拘置所で面会。
当時は丸刈りでひげもそり、だいぶ痩せた様子だったと説明した。
精神障害の状態にあるとの見解に対しては「会話が成立したことがある」と疑問を呈した。
教団の後継団体については、四女は「かつて殺人を容認した教義は変わっていない。再び父のような絶対者が現れれば、第二の事件が起こりうる」と強調、信仰をやめるべきだと訴えた。
松本死刑囚の子どもは信者の間で「皇子(こうし)」と呼ばれ、「神」として振る舞うことを求められていたという。
以前の家族との生活は、100円の靴下を買って喜ぶ一方、ゲームセンターで月に30万円使ったこともあり、「経済的価値観がずれていた」と振り返った。
松本死刑囚によって、幼い時には教団元幹部の遠藤誠一死刑囚(54)の婚約者にされていたとも明かした。
教義で禁じられているとされる「愛」を意味するハートのネックレスを着用。
「私にとって信仰が抜けたとの象徴」と説明した。

いじめや差別、居場所なく
信仰と決別しても「教祖の娘」という烙印は消えない
いじめや就学拒否、就職差別…。
オウム真理教松本智津夫死刑囚の四女は、血のつながりに悩み、苦しみ抜いた日々を振り返った。
「市民が不安に思っている」
松本死刑囚が逮捕された約5年後の2000年夏。
姉弟や信者数人と茨城県龍ヶ崎市に引っ越してきた四女は、小学校への就学を拒否された。
ようやく認められたのは翌年の春だった。
待っていたのはクラスのいじめ。
「人殺しの子ども」
集合写真は自分の顔の部分だけくりぬかれた。
地下鉄サリン事件の記憶が色濃く残る都心のベッドタウン
友人の母親は言った。
「あなたはオウムでしょ。うちの子に関わらないで」
中学卒業後、教団関係者と交流する家族から自立したくなり、家出を繰り返すように。
児童相談所に保護されたほか、元信者の家を転々とした。
数カ月間、インターネットカフェや路上で寝泊まりしたこともあった。
働き口が決まっても、しばらくして身元が分かると解雇された。
「絶対に間違っていると思う。でもどうしようもなかったんだ」
上司は申し訳なさそうに言った。
理由は経営に影響が出るかもしれないから。
その後もアルバイトや派遣の仕事を転々としたが、長続きすることはなかった。
周囲に受け入れられようと努力してみても、無力感が込み上げる。
「この血が罪なのでしょうか。私の立場で言えるのかは分からないが、社会はあまりにも非情すぎる」

平成26年6月15日地元紙掲載