朴念仁の戯言

弁膜症を経て

仕事と私

「何を考えながら、仕事をしていますか」
突然、背後から英語で問いかけられた私は、手早く皿並べの手を止めて、「別に何も」と答えました。
すると返ってきたのは、厳しい𠮟責。
「あなたは時間を無駄にしています」
アメリカのボストンで修練者として生活していた、ある昼下がりのことでした。

百数十名のシスターたちの夕食の配膳を割り当てられていた私は手際よく、しかし心の中では「なんとつまらない仕事、早く済ませてしまおう」とだけ考えていました。

「つまらない、つまらない」と考えながら過ごした時間は、私の人生の中に、つまらない時間として刻まれ、「お幸せに」と願いながら過ごした時間は、同じ時間でも、愛と祈りのこもった30分として残るのです。
時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方であることを、その日、私は教えられました。

仕事は、すること(doing)も、もちろん大切ですが、どういう気持ちでしているかという私のあり方(being)を忘れてはいけないのです。

私が、「お幸せに」と祈りながらお皿を並べたから、夕食に座ったシスターたちが幸せになったかどうかは分かりません。

私が変わりました。
仕事に対して不平不満を抱くことがあった私が、少しずつであっても、与えられた仕事を一つ一つ意味あるものとして、丁寧に向き合う私になってゆきました。
雑用は、用を雑にした時に生まれるのです。

※シスター渡辺和子さん(平成28年8月31日心のともしび「心の糧」より)