朴念仁の戯言

弁膜症を経て

宝物

アメリカにいた時のことです。
ある高等学校で生徒たちに自分の宝物を持って来させ、皆の前で、なぜ、それが宝物なのかを発表させてことがありました。

生徒たちは思い思いのものを持ち寄り、説明します。
誇らしげに、「これは高価な宝石なんだ」「外国からの珍しいものなんだ」と言う生徒もいましたが、「これはお母さんの形見」と言って、いとおしげに、使い古した櫛を見せた女子生徒もいました。

宝物にもいろいろあります。
誰が見ても、そうだろうと思わせるものもあれば、他人にはわからない、自分だけに価値あるものもあるのです。

修道者になる時、清貧の誓願を立て、自分のものと呼ぶものを持たない私も、一つだけ宝物を持っています。
それは、金銭的には全く価値のないものですが、私にとっては、かけがえのない大切なものなのです。

87歳で天寿を全うした私の母は、亡くなる1、2年前から認知症になり、(修道院に)許されて岡山から見舞いに訪れた時も、娘の私が分からなくなっていました。
介護をしていてくださった病院の方の話では、母は、日がな一日、赤い毛糸の玉を転がしては手繰り寄せ、赤い錦紗(きんしゃ)の布をいじっては遊んでいるということでした。

見ると、それは紛れもなく、修道院に入る前に私が着ていた赤いセーターの毛糸の残りと、私の羽織の端布(はぎれ)だったのです。
悲しみの中にも、私は慰められて岡山に戻りました。

その日から約1ヶ月後、母は逝き、臨終に間に合わなかった私は次の日、お礼かたがた母が過ごした部屋の片付けに行きました。
そして、そこに残された毛糸玉と錦紗の布、それが、その日以来、私の宝物になったのです。

※シスター渡辺和子さん(平成27年9月29日心のともしび「心の糧」より)