朴念仁の戯言

弁膜症を経て

迷い

「迷いに迷った挙句、産みました」
かわいい赤ん坊を抱いて報告に来た卒業生の顔には、苦しみを経験した人にのみ見られる明るさと、大人びた表情がありました。

中絶をすすめる周囲からの圧力、産むことによって生じる経済的負担、仕事と育児の両立の難しさ等を考慮した末、宿ったいのちを守り抜く選択をした人の美しさでした。

「授業中にシスターが、神は力に余る試練はお与えにならないと仰ったでしょう。本当にそうです。何とかやっています」と言いながら、赤ちゃんにほほ笑みかけました。

「私にも抱かせて」と抱きながら、「マリア様、どうぞ、この卒業生が迷った末に選んだ決断をほめてやってください。この幼子の一生をお守りください」と祈りました。

私たちの一生は、「迷い」の連続といってもいいでしょう。小さなことでは、今日は何を着ていこうかという迷いから、大きなことでは、生死にかかわることについての迷いまで大小さまざまあります。

迷うことができるのも一つの恵みです。ナチスの収容所に送られた人々には迷うことは許されませんでした。すべてが命令による強制であり、人は、選択する自由、つまり、迷う自由を剥奪されていたのです。

「迷った時には、それぞれのプラスとマイナスを書き出し、重みによって決めなさい」
修道生活か結婚生活かの選択に迷っていた私に、上司であったアメリカ人の神父が教えてくれたことでした。

赤ちゃんを産む決心をした卒業生は、大学での講演を思い出し、プラスの欄に「神のご加護」と大きく書き込むことにより、自分の迷いに終止符を打ったのでした。

※シスター渡辺和子さん(平成26年11月28日心のともしび「心の糧」より)