朴念仁の戯言

弁膜症を経て

目指すべきもの

以前アメリカに住んでいたある日本人から次のような話を聞いたことがある。在米中、彼女の子供はアメリカの小学校に通っていたが、いつも、その子は活発で指導力のある良い子だとほめられていた。しかし、その子が通っていた日本語学校では逆に、常に落ち着きのない問題児と評されていた。

この話を聞いて、改めて日米の教育観の違いを考えさせられた。先生を重視する儒教の伝統を引き継ぐ日本では、概して教師の教えることを黙って受け入れる子供が良い生徒と考えられる。逆に個人主義のアメリカでは、生徒一人ひとりが自らの課題を発見し、それを解いていくプロセスを大切にする。そのためアメリカでの授業の多くはディスカッション形式で進められ、学生は積極的に意見を述べることが求められる。活発に自分の考えを主張できる子供が高く評価される理由はここにある。

日本の学生は、与えられた問題は容易に解けるが、その問題自体について批判的に考えることは苦手であるとよく聞く。それは個人の創造性や判断力の育成を軽んじた受験中心教育の産物であることは、明らかである。そのため若者の多くは、社会の問題について、主体的に考え、責任を持って行動できる者が少ないように思える。真の自己を発見する教育の欠如が、現代日本社会の最大の弱点なのではなかろうか。

※ロバート F.ローズさん(大谷大HP「今という時間」より)