朴念仁の戯言

弁膜症を経て

人が人に残すものとは

愛する。傷つける。いたわる。人と人との関係には、さまざま形がある。作家の千早茜さんは連作短編集「あとかた」(新潮社)で「残すこと」をテーマにした。関わりの残骸を、情感豊かに描く。
「人に何かを残したい人や、残されたものを消したい人、残せなかった人…。人それぞれの、型通りではない感情を書きたかった」
婚約した「私」は、別の「男」と関係を持つ。感情を、結婚のような手段でとどめることに空疎さを覚える私は、未来のない男との時間に「普遍」を感じる。
上司が飛び降り自殺する直前、会社屋上のふちに残した手の跡。情事にふける主婦が、愛人からフェルトペンで薬指に描かれた指輪…。それを残した人物をめぐる主人公たちの心象が、色彩をまとって立ちあらわれる。有形の遺物は、より重みのある無形の遺物を象徴する。「結婚のような形として残す仲でなくても『なかったこと』にはならない。過去に付き合った人、擦れ違うように出会った人の記憶も、今のその人をつくっているのだから」
全編に死の影が漂う。アフリカのザンビアで過ごした少女時代、毎日死について考えていた。「飢餓も事故も、凶暴な犯罪も、すぐ隣にあった。家族が殺されたらどうするとか、あらゆる〝不幸パターン〟を考えた。考えるのに疲れ、それは普通にあるものだと思ったら楽になったんです」
小説すばる新人賞泉鏡花賞を受けた「魚神(いおがみ)」でデビューして5年。過去に出版した本は「心の中から剥がれ落ち、結晶化していった遺物」だという。有形の本が売れることより、読者の心に「うずみ火」が残ることを願う。「それは形として目に見えない。けれど、小さなことでも伝わればいいなと思います」

※「あとかた」作家の千早茜さん(平成25年7月17日地元紙掲載)