朴念仁の戯言

弁膜症を経て

樹木葬墓地を訪ねて

車窓に映る緑の色が北上するに従って、若くなっていく。私が暮らす東京では、すでに夏の色になりつつあるのだが。
季節を逆にたどるような感覚を味わいながら、ふと思う。人の一生にも、こんな風に時をさかのぼる特別な日があるといいのに。そうしたら、見送った母に聞きたい。
「お母さんは、あれでよかった?」
葬送について聞きたいのだ。元気な頃に話題にするのはためらわれ、認知症と呼ばれる症状が現れてからは、別の意味で意思の確認は無理だった。それが今でも小骨のように、娘の胸に刺さっている。
今回訪ねたのは、岩手県一関市の知勝院。そこにあるすべてを深く抱擁するような豊かな静寂の中で、肩の力がふっと抜けていくのがわかる。静寂を破るのは、潮騒にも似た葉擦れの音と、時折の野鳥の声…。前住職の千坂嵃峰(けんほう)さんは、里山の環境を再生するため、この国で初めて樹木葬墓地を始めた。
水辺の枝に白いムース状の塊が幾つもある。モリアオガエルの卵だそうだ。ほぼ一週間でふ化したオタマジャクシは、泡の塊の中で雨を待ち、雨で泡が溶けるのと同時に水面に落ちて、そこで生きる。自然の力を借りての誕生である。人の最期もまたそうありたい、とあらためて考える。
ニッコウキスゲのオレンジ色の花が群生するところで、千葉県から来られた橋本正子さんのお話を伺った。おつれあいがここで眠り、ご自身もそうすると決めている。
独り遺(のこ)された日々を支えてくれたのは、折々に訪れるこの里山の豊かさと、大好きな樹木とともに眠る夫の記憶。橋本さんがそう呼ぶ「墓友(はかとも)」も大勢できた。
帰り道、花束を抱えた姉妹にお目にかかった。「姉の納骨に」。1㍍ほどの深さに穴を掘り、お骨はそのまま埋められる。土に還(かえ)る、ために。その上に、この里山に適した墓標である、樹木を選んで植える。

「亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚」(長田弘福島市出身=「詩ふたつ」のあとがきより)

長田さんの言葉の一節が、葉擦れの音とともによみがえる時、死者から贈られた時空の中で、わたしは木漏れ陽(び)に全身を明け渡す。
風が吹くたびに、大小さまざまな樹木がそれに応えて葉裏を返す。まるで風が咲いているように。

※作家の落合恵子さん(平成25年7月2日地元紙掲載)