朴念仁の戯言

弁膜症を経て

見習いたい母 背を見て育つ

生きていれば120歳になる母は、20歳過ぎで農家に嫁ぎ、8人の子を育てました。
物がない時代、12人の大家族を守っていました。育ち盛りの子どもたちを、決して空腹にはさせませんでした。学校から帰るといつも、囲炉裏に焼きおにぎりがあり、醤油の香りが漂っていました。夕食にたまに食べる魚のおかずは、祖母と父に一番おいしいところ、次においしい部分を子どもたちに食べさせ、自分はしっぽの部分を食べていました。それを横目で見た姉は、自分の分を割って母のご飯の上に載せているのを見ました。
働き者で子育ては厳しくなく、どちらかというと野放図でしたが、何も言わなくても心は通じるものだと感じました。母の背を見て育ち、困った時に相談に乗ってくれた母の子で良かったと感謝しています。「親の恩は子に返せ」のことわざを思います。今の心境を歌にしました。
〈なるならば 黄泉の国より 母呼んで 宴(うたげ)上座(かみざ)の 客となしたき〉

喜多方市の辺見ミヱさん90歳(平成25年7月2日地元紙掲載)