朴念仁の戯言

弁膜症を経て

輝いていた時代生きる

長年農業に携わってきた80代の男性は、早朝から起き出して仕事をする働き者だ。まだ暗いうちから味噌汁を温めようと鍋をガスコンロにかけるが、忘れて水分がなくなる。ピーピーと警告音が鳴って火が消えるが、鍋は黒焦げ。家族は警告音で目覚める。一方、本人は布団を片付けてこたつで寝ている。
男性は干す作業が好きで、冷蔵庫に入れてある肉や魚、おかずなどを全部持ち出して、縁側に並べて日干しをする。あるときは、味噌汁から具だけを取り出して縁側に並べて干してあった…。「昔は何でも干した。大麦は押しつぶしてから干して押し麦にした」と本人の弁。こんなエピソードを、介護する家族は笑顔で話してくれる。
こうした生活状況でも、家族から「薬を投与して行動を抑えてほしい」という要望がないので、気の向くままの生活を続けてもらっている。
同じ年頃の独居の女性は、生協の宅配サービスのカタログを見て注文書に記入ができる。しかし、コメがなくなるのが心配で、在庫があるのに毎回注文してしまい、コメが何袋もたまる。こんな気配りができるのは、戦後の食糧難を生き延びた高齢者ならではだろう。コメを切らせないようにという思いが強いのだ。
だしパックも毎回注文するので、「たくさんになってしまう」と、近くに住む家族が指摘したら、この女性は「人さまにあげると喜ばれるの」と反論する。このほか、トマトとパン、ブロッコリーと毎回注文するものが決まっているらしい。
このような状況でも、ヘルパーさんと家族に注文書をチェックしてもらいながら、宅配サービスを利用して生活物資を入手して、独居生活ができている。週に2回のデイサービスも「とても楽しい」と、生き生きと通っている。これも介護保険のおかげである。
認知症になっても、昔の生活習慣は残っている。認知症が進むと、最近の記憶が消えていく中で、「かつての輝いていた頃の自分」の記憶の中で生きるようになる。昔から慣れ親しんだ作業も自然に行える。昔とったきねづかだ。
認知症の人を今の生活に適合させようとすると、無理が生じる。適合力を失うことが認知症だからだ。日課を持ち、自分の生活リズムを保ちながら、本人が輝いていた時代を生きてもらう。これが、自尊心と尊厳を守る医療・ケアであろう。
それぞれの人生が宝物であってほしい。認知症とともに生きることは不自由だけど、不幸ではない。

※群馬大教授の山口晴保さん(平成25年3月15日地元紙掲載)