朴念仁の戯言

弁膜症を経て

小さければ小さいほどよい

私はすでに70歳を超えた。異なるジャンルの仕事をかなり乱暴に渡り歩き、そこそこの世俗的成功と、その10倍ぐらいの失敗を重ねてきた。保障もなく厳しい競争にさらされる仕事ばっかりだったが、その分スリルと快感も味わった。そして今、人生レースの最後の直線に差しかかっている。
自己満足―。私にはそう言った感慨は少しもない。いろんなことを夢中でやってきたけど、ただ忙しかったなという感じしか残っていない。いつも緊張し、苦闘していたような気がする。
今回の連載に当たって私は最初に、「貪欲と競争」から「小欲知足」への価値観の転換、「グローバリズム」から「ローカリズム」への社会システムの転換が今日、最も求められている、なぜこう考えるかを話したい、と書いた。しかし、限られた回数では語り尽せなかったことがある。この部分を結論的に話そう。
エルンスト・シューマッハーという経済学者は1973年「スモール・イズ・ビューティフル」という本を出版した。この中で彼は、簡素な生活手段で、モノを浪費せず、必要な分量で満ち足りている文化こそ素晴らしい。これは仏教哲学の教えである「小欲知足」であると説いている。
彼は、欧米の文明が無批判的に技術優先の大型工業社会へ突っ走ったことから、「技術は人間がつくったものなのに、(技術は)独自の法則と原理で発展していく」と指摘する。つまり人間の力では制御が利かなくなり、生命環境を破壊するという。現実に核兵器原発、遺伝子組み換え食品などを思い浮かべればいい。ITは人間生活を豊かにするはずだったが、かえって時間がなくなり、緊張したストレス社会をつくり出したことも現実だ。
インド独立運動のリーダーだったマハトマ・ガンジーは「世界中の貧しい人を救うのは大量生産ではなく、大衆による生産である」と話した。
シューマッハーガンジーの言葉を引き合いにして、「大衆による生産の技術は、分散化を促進し、エコロジーの法則に背かず、人間を機械に奉仕させるのではなく、人間に役立つようにつくられている」と、強調した。
今、原発の再稼働問題が急浮上している。政府や電力業界は「経済成長のため」というが、現実的には財政破綻と経済崩壊が進む。果たして原発とは技術なのか。本当の技術なら、文明の利器として人々の幸福に貢献しなければならない。一度事故が起きれば、管理も処理もできず、自然を半永久的に汚染し、多数の人々の健康をむしばむ。それは技術ではなく、悪意に満ちた「呪いの道具」にすぎない。
人間が社会を運営するには、その範囲は小さければ小さいほど分かりやすい。大量生産は不要なので、機械や科学の導入をほどほどにして、その土地を愛する人たちが協力し、人間力を最大限に発揮して生活環境を整える。
まず地域の経済的自立を考え、一点突破から全面展開へと知恵を絞る。同時に食糧の自給自足と再生可能エネルギーの自立を考える。それさえあったら恐ろしいものは何もない。こうした故郷、マイタウンづくりは、人間にとって一番やりがいがあり、幸福感を獲得できる生き方ではないのか。

※俳優の中村敦夫さん(平成24年7月8日地元紙掲載)