朴念仁の戯言

弁膜症を経て

父親は自らの生き方で語る

6月の第三日曜日は「父の日」でした。言うまでもなく、この日は子から父親に感謝を表す日ですが、今日は、反対に父親の立場からみた「父の日」の意義、つまり父親の役割は何か、父親は子に何を語るべきかについて考えてみましょう。
古来、我が国では「厳父慈母(げんぷじぼ)」という言葉で、父親の役割、母親の役割を伝えてきましたが、「厳父」という言葉に、どのようなイメージを描くでしょうか。それについて、ある父親の述懐を思い出します。

■粉雪の舞う寒い日、外出先から帰った私は、妻から小学3年生の長男が仏壇においてあったお金を盗って買喰いをした事を報らされました。私はすぐに息子を呼んで言いました。
「お前がやった事がどんなに悪いことかお父さんが教えてやる」
私は息子の服を脱がせてパンツ一枚にして庭へ引っ張り出しました。
「いいか、これからお前に水を5杯かける。しかし、そんなお前にしたお父さんにも責任がある。だからお父さんも水を5杯かぶる」と言って、自分もパンツ一枚になりました。
まず私が水を5杯かぶりましたが、身を切るような冷たさです。ところが、はね返る冷たい水のしぶきを避けようともせず、泣きながらぶるぶると震えて私をじっと見つめる息子の顔。私はこの時ほど「この子は俺の血を分けた大事な息子なんだ」と胸に迫る実感を持ったことはありませんでした。
私は心を鬼にして息子に5杯の水をかぶせると、息子を横抱きにして風呂場に駆け込みました。そして、乾いたタオルでごしごし息子の体をふいてやると、息子が、脇のタオルで私の腹をなでているのです。私は思わず息子を抱きしめ男泣きに泣いてしまいました。それから息子は家の金には絶対に手を触れないようになりました。

見事な父性愛。我が身を以て教えた父親の生き方は、必ずや子の生き方に受け継がれるに違いありません。インド独立の英雄ガンジーは、子供の頃、言う事をきかない時は父親から断食の罰を与えられたそうですが、その期間、父親もまた断食をしていたといいます。「人を責むるの心を以て己を責めよ」という言葉がありますが、二人の父親に共通しているのは、子に厳しくする前提に、まず自らも厳しく生きる姿があることです。「厳」が「つつしむ」とも訓まれる所以でしょう。
これに対して、己への厳しさ無くして、単に強圧的に子を威張り散らす父親に返ってくるものは、不信と反発、怨念や憎悪のみでしょう。事実、不公正な父子関係について、ヒトラースターリン毛沢東らの陰惨な近代革命史の代表的な人物の子供時代の家庭を調べてみると、符節を合するように父親が悪い。彼等は父親と終始喧嘩をし、父親からいじめられ、反発・憎悪の荒んだ環境に育つ、呪われた父子関係にあった」と、思想家の安岡正篤氏は『日本と次の世代』の中で述べています。
『孝経』は「厳によりて以て敬を教ふ」(自らに厳にして、はじめて子に敬を教えることができる)と、厳父の「厳」の真意は、己への「きびしさ」にあることを教えています。

※土屋秀宇さん(平成24年6月26日地元紙掲載)