朴念仁の戯言

弁膜症を経て

たった一日だけのクラスメート

ある時、有名な画家が、頼まれて近所の少年に絵を教えることになりました。しかし、画家はすぐに絵を描かせることをせず、代わりに花の種を蒔いて育てさせました。やがて土の中から目を出した苗に、少年は水をやり一生懸命に育てました。しかし、画家は一向に絵筆を持たせることはありませんでした。やがて、大きく育った苗から蕾が出、美しい花を咲かせました。その時、初めて画家は少年に絵筆を与え、その花を描かせたのでした。洋画家の岡鹿之助にまつわるエピソードです。
鹿之助は、少年に絵を描く対象物に深い愛情を持つことの大切さを訓えたかったのです。
考えてみれば、絵を描くことに限らず、あらゆる良い仕事、良い作品、良い学びの根柢に、対象となる物に対しての深い愛情があることが不可欠です。ましてや、それが人間を相手にする教育という仕事であれば尚更のことでしょう。親が我が子を、教師が生徒を、「無条件で受け容れる絶対的愛」があってこそ、子供達の将来は明るい希望につながるのだと思います。
そのことで、高見沢潤子著『愛すことの発見』にこんな感動的な話があります。

Kさんは女子師範学校を卒業し愛媛県の小学校に勤めていた。K先生は子供たちを愛情深く温かく導いた。K先生が2年生の担任の時、いかにも貧しげな暗い影を持った男の子が転校してきた。男の子はTといった。K先生は、その日、Tに教科書を読ませ、やさしい質問を与えて答えさせた。Tは小さな声だったが教科書を上手に読み、質問にも正しく答えた。K先生は最大限の表現をもってほめ、励まし、下校するTのために校門に立ち、手を振って見送った。
しかし、Tは翌日登校しなかった。Tが来たら真っ先に声をかけようとしたK先生の落胆は大きかった。次の日も、その次の日もTは来なかった。K先生はTの家を訪ねたが不明だった。それから4年後、Tが河原にいたことを生徒から聞いた。そこは浮浪者のいる所だった。K先生はTを訪ねて河原に行ったが、Tの姿はなかった。
20年後、教え子たちのクラス会があった。その会に、なんと、たった一日だけ教えたTが出席していた。Tは、「K先生のことは一日も忘れたことはありませんでした」と涙を浮かべて再会を喜んだ。

たった一日しか登校しなかったのに出席したT君と、T君をクラス会に呼んだ教え子たち。おそらく、転校した翌日から登校しなくなったT君を想う先生の真心(絶対的愛)を、教え子たちは感じていたに違いありません。だからこそ、河原にいたT君の消息を報せたのでしょう。そして河原に出かけて捜し回るK先生の姿を胸に刻みつけていたに違いありません。おそらくT君に対するのと同じように、K先生の深い愛はクラス一人一人の子供に注がれたことでしょう。だからこそ、たった一日だけのクラスメートを、20年後のクラス会に誘うような人間関係をつくりあげたのだと思います。K先生の深い愛と、それに感応した教え子たち。かつて小林秀雄は「教師の魂が教え子の魂にうつる、それが教育です」と言いましたが、たまたま縁あって結んだ師弟の関係にあって、師が弟子の中に生き、弟子が師の中に生きるいのちの呼応、感応道交の世界がK先生の教育にはありました。これこそ本物の教育ではないでしょうか。
間もなく新年度が始まります。子供たちは希望に胸をふくらませていることでしょう。先生と子供たちの新しい出逢いが、これからどのような感応道交の世界を見せてくれるでしょうか。

※土屋秀宇さん(平成24年3月27日地元紙掲載)