朴念仁の戯言

弁膜症を経て

生きること 生かされていること

生命科学によれば、人間に生まれてくることは「一億円の宝くじを百万回連続してあてることよりも難しい」のだそうです。「ありがたい」という言葉は、本来、「有る事、存在すること」自体が難しいので「有り難い」という訳ですが、この意味において、人間であることは、正に「有り難い」奇跡の存在と言えるでしょう。
したがって、人間においては「生きる」ことは、特別な意味があり、それは、せっかく戴いた命をどう生かすか、何の為に命を使うかという事なのだと思います。だからこそ、子供達には「良く生きることに努めよ」と伝えてやりたいと思うのです。前回「三三五五」の教えを紹介した所以(ゆえん)です。
ところが、私は12年前の予期せぬ人生の展開により、自分は「生きている」のではなく、「生かされているのだ」という新しい気づきを与えられたのでした。
突然の心臓発作で倒れた真冬の深夜。医師の手当てにもかかわらず続いた苦しみ。一時は死も覚悟しましたが、どうやら治まっての6時間にわたる大手術と長期療養。
実はカテーテル検査により、私の心臓の中隔冠状動脈の入口が99%梗塞していることが分かりました。つまり、心臓に血液が流れない情況にあったのです。心臓がポンプの役目を果たせないため、普通ならば私の人生は一巻の終わりだったはずでした。ところが、心臓の鼓動に必要な血液が送られて来なくなった異常事態を察知(?)してか、左冠状動脈の細い血管が一本、「これは大変だ」とばかり、自らの力で伸びて中隔冠状動脈に結合し、自然のバイパス血管となって少ないながらも心臓に血液を供給してくれていたのでした。
私のあずかり知らぬ処でバイパス血管を造り上げ働かせていた大いなる生命があった―この事実を医長が説明して下さった時、私は正に「生かされている」自分を実感し、その有り難さに溢れ出る涙をこらえることが出来ませんでした。
「誰が動かしているの あなたの心臓 私の心臓」―相田みつをさんのこの詩にこめられた意味の重大さを心の底から理解する事が出来ました。そして、私は病に倒れたおかげで、自分では一生懸命に生きていたつもりが、逆に、大いなる生命の不思議な力の存在、これを生命科学の権威、村上和雄博士は「サムシング・グレート(何か偉大な存在)」と呼んでいらっしゃいますが、そのサムシング・グレートの力によって生かされていたのだと気づく事が出来ました。~略

※土屋秀宇さん(平成23年9月27日地元紙掲載)