朴念仁の戯言

弁膜症を経て

同じ状態はつづかない

去年死んでいたら、この未曾有の悲惨な災害は見ずにすんだのにと思ってしまいます。たまたま私は昨年11月から背骨の圧迫骨折で入院したり、自宅で療養をつづけていて、自分の足で歩けなくなっていたので、これまでのように、すぐ現地に飛んでいって被災者を慰問することも励ますこともできませんでした。こんな役立たずになってしまった自分に今、何ができるのかと、考えつづけ、あらゆる報道に目をさらして、やきもきしていました。
地震津波、さらに原発事故と、追い打ちをかけてくる災害は、地球の終わりを知らされるような恐ろしさでした。
「無常」という仏教の言葉が胸にしみました。一寸先に何が待ち受けているのか知らないのが人間です。人間の能力には限界があり、自然の底力には果てがないということを思い知らされたのです。
子供の時から耳にこびりついていた非常時という言葉を思い出しました。この現実こそ非常時でなくて何でしょう。これを乗り越えるには人々が我を捨て互いの力を合わせ災難に立ち向かうしかないのです。
一瞬にして、永い歳月えいえいと積み上げてきた家も財産もすべてを失い、愛する家族を目の前でさらわれた人々の切望を思いやると、痛ましさに身も心も凍ります。
体の動かないわが身が腹立たしく、私は悶々と悩みつづけました。
そのあげく、ふと気づいたら、私の体調は変化していたのです。寝たっきりで、四六時中あれほど痛がった足の痛みがずいぶん和らいでいます。トイレに行けず食事もベッドに運ばれ、顔も洗えず、風呂にも50日も入れなかったのに、そのすべてが今はクリアされていたのです。半年で治るという医者の言葉は正しかったのです。四月で半年目になります。
「無常」とは、同じ状態はつづかないことと、私は法話のたび、話してきました。その通りです。
今、生き地獄のどん底の状態の日本も東北の被災地の方々も、このどん底から、気がつけば、変化していたと気づく日が必ず訪れるはずです。これだけ国民のすべてが心を一つにしてがんばっている努力が報われないことはないと、希望を忘れないでいてください。私は体がきくようになれば、何でもして少しでも役に立ちたいと今、切実に思っています。待っていてください。

※作家、僧侶の瀬戸内寂聴さん(平成23年3月23日地元紙掲載)