朴念仁の戯言

弁膜症を経て

苦しみはずっと続かない

「まず、今の苦しさはあなたのせいじゃないということです。一生分の苦労を先取りしていると思っていいし、あまりにつらいなら、逃げてもかまいません」
大平さんはそう話して、自分が14歳だったころを振り返った。学校でいじめられたのを苦に、自殺しようと自分の腹をナイフで突き刺したが、通りかかった人に助けられた。その後、荒れた生活を送り、暴力団とかかわるなど「どん底」の日々だった。
「そのころ、『この苦しみはずっと続く』と思っていたんです。悪いほう、悪いほうに考えて、どうせ自分は何をやってもダメなんだと。結果はその通りになりました」。たまたま再会した父親の知人に説得され、立ち直ったのは22歳のとき。そこから猛勉強して弁護士になり、少年事件などに取り組んできた。
「今の仕事をする自分を想像できなかった。将来なんて本当に分からない。虐待やいじめを受けている子は、すごく苦しくて死にたいと思っているかもしれません。でも空想でいいから今とは違った将来をイメージすることです」
大平さん自身、今も予想外のことが続いているという。「仕事一筋に生きていく」はずだった人生は、2006年の結婚でがらりと変わる。ダウン症という障害のある娘が生まれ「2~3歳までしか生きられないと思ったときもあった」。でも、悪いほうに考えることはしなかった。
「わたしが『この子の将来はない』と思ってしまえばそれまで。でも、私は大まじめで、娘は大人になって活躍してくれるに違いないって、思ってるんです。だって将来なんて分からないから。そう思うことが大切なんです」
娘が成長したら、大平さん自身は出家する計画だ。仏教について学びながら自分に向き合い、考えを深めようとしている。「今、暗闇の中にいる子には、自分にとっての光を見つけ出してほしい。それを見つける力は、それぞれに備わっていると思います」

※弁護士の大平光代さん(平成22年11月23日地元紙掲載)