朴念仁の戯言

弁膜症を経て

息子の思い出・母の存在

息子を思い出す緑色の歯ブラシ
皆さんはどんな歯ブラシを使用していますか。形、色、使いやすさ、好みの硬さ、テレビの宣伝の影響など、さまざまな理由で選ばれているのでしょうね。
私の歯ブラシの右側に、これから先、誰にも使われることのない緑色の歯ブラシがあります。それは生前、息子が愛用していた歯ブラシです。
不思議と歯ブラシを見ていると、幼少時期に私のひざ枕でテレビ番組の内容をまねながら、歯みがきをしたことを懐かしく思い出します。息子の歯ブラシから、さまざまな光景を思い出します。
朝の風景や、夜の風景、病院での風景。闘病生活の中、歯みがきをするとスッキリすると言っていました。気持ちがリフレッシュされるためだ、と思いました。
退屈なだけの病院での闘病生活において、歯みがきは生きていることを感じることができる行為だったのではないかと思いました。そんな気持ちを大切にしたいために、息子が生きていた証のために、これから先も緑色の歯ブラシを歯ブラシラックにおきます。
私も歯みがきできる喜びを感じながら、息子がかなわなかった、生きていることを代わりに実感して、歯みがきしたいと思っています。
郡山市の草野寿彦さん46歳(平成22年5月15日地元紙掲載)

 

励ましてくれた母の存在には涙
私の生まれる前、母は4人の子どもを亡くしている。4人とも生まれて間もなく亡くなったという。私は丈夫に育つように、と丈夫と名付けられ、母の寵愛を受けて育った。
兄とは14歳も離れていた。幼いころ、何か悪さをすると兄に土蔵に閉じ込められた。土蔵の中は真っ暗でネズミや青大将がいる。泣き叫ぶ私をいつも助けてくれたのは母だった。
「ハハキトク、スグカエレ」。兄からの電報が届いたのは38歳の私の最も不遇の時。勤める会社が倒産寸前で給料は欠配が続き、帰省の汽車賃もなかった。やっと工面して夜行列車に飛び乗った。
生家の隣町で列車を降りると雨が降っていた。死なないで。私は泣きながら夜道を駆けた。母の枕元で私は号泣した。心配かけてしまった後悔が涙になっていつまでも続いた。
脳溢血で寝たきりになった母は、床の中でも私のことを心配していた。「早く帰って仕事を」。か細い声でそう言った。自分の命より私のことが心配だったのだ。
母は74歳で亡くなったが、死をもって励ましてくれたのだと思う。私は母の字に弱い。母の歌には涙が先に立つ。
会津若松市の宍戸丈夫さん89歳(平成22年5月15日地元紙掲載)