朴念仁の戯言

弁膜症を経て

孤独死

私はその人が亡くなったことを新聞のお悔やみ欄で偶然知った。その人というのは、同じ町内に住む80歳を過ぎたお年寄りだった。夜中に救急車が来てそのまま亡くなったという。
夫婦二人暮らしで、奥さんは寝たきりの状態だった。近所付き合いがなく週2回来るデイサービスの車をときどき見かけた。また、そのご主人が旅行に行った時、私の勤めている店まで土産を届けてくれた。
私は後悔の念にかられた。高齢者にはこちらから歩み寄ることが義務ではなかったか、どこかで救いを求めていたかもしれないと。「孤独死」とは本来、現代社会がつくり出した言葉であり、人間の社会に反したものであって、家族や地域の人たちの力で防ぐことはできる。
その人は他人の世話になることが恥ずかしい、という思いを持っており、奥さんの面倒も一人で見ていた。だが、高齢者が人の力を借りて生活することは、社会の仕組みとして当然だと思う。同時に家族の介護をしている人が「不安・うつ」状態に陥らないよう注意する地域の取り組みは重要だと思う。
各市町村の訪問介護などの充実性は大きな課題だ。あまりにもさびしい「孤独死」はあってはならない。

喜多方市の青山由美さん(平成22年4月6日地元紙掲載)