朴念仁の戯言

弁膜症を経て

母の後ろ姿

50年以上経った今も、忘れられない母の後ろ姿、それは、私が修道院に入って数ヶ月後、初めての面会が応接間で許された後、1人で門を出て帰っていった時の母の後ろ姿です。

30歳で修道院に入った時、母はすでに70代の半ばで、1人で出掛けると、時に方角を間違えることもあって、外出には私がいつも付き添っていました。その母を残しての入会、付き添いもなく、1人で会いに来てくれた母の手には、柄の長い空色のパラソルがしっかりと握られ、それをコツン、コツンと突きながら門を出てゆく母の後ろ姿に、見送る私は涙を抑えることができませんでした。
 
走っていって、パラソルの代わりに手を引いてやりたくても、それが許されない悲しさ、それをかみしめている私に、母は一度も振りかえらずに帰ってゆきました。その後ろ姿には、70年余りの間、母が耐え忍んだに違いない数多くの苦労が刻まれているようで、母の背は、以前よりいっそう丸く、小さくなっていたように見えました。
 
修道院に入るまでの7年間、家の経済を助けるために私は働いていました。毎月の給料を、封も切らずに渡すと、母は押し頂いてから、まず仏壇に供えるのが常でした。その後ろ姿には、歳を取ってから、迷ったあげくの果てに産んだ娘への複雑な思いがにじんでいるようでした。
 
そんなこともあって、働いた末、修道院に入りたいと申し出た私に、母は「なぜ、結婚しないのかね」と言いながらも、あえて反対はしませんでした。
 
入会前の夜だったと思います。風呂場で私の背中を流してくれながら、「結婚だけが女の幸せとは限らない」と呟いた母の言葉が、30年見馴れた母の後ろ姿を集約していたのかも知れません。

※シスター渡辺 和子さん(平成26年5月14日「カトリック教会がお送りする心のともしび」より)